2021年度 第2回目ゼミー3期生グラレコWS 4期生インプロWS

第2日目のゼミは3期生グラレコWS 4期生インプロWSでした。

<3期生ゼミ>

まずは、グラレコWSを企画実施してくれたりな、かりん、よーへいの三人に心から感謝!!私はみんなの活動を全体的にみせてもらって、見てるだけでも楽しかった!何が楽しかったかというと参加している人がとても楽しそうでそれがとても嬉しかった。3期生もたくさんきてくれていて、グラレコだけじゃなく、ゼミ2週目で全体としてとってもゼミがあったまったなって感じがしました。

今日の気づきのひとつは、場所。今回、オンライン、そして2つのワークショップを1つの部屋でということで考えていたけれど、予想を超えて参加者が多くて、1つの教室でかなり三密になってしまって、前半焦った。が、隣の教室があいていて、そしてりながとても臨機応変に対応してくれて、部屋を2つにわけることができた。加えて、後半はよーへいが外で開催してくれることになり、結果として後半はとてもいい場所の配置になった。改めて思ったのは、場所についてはフリーで使える場所を確認しておくこと、そして「外」という選択肢も残しておくこと。ゼミの教室はちょうど中庭が見渡せる場所だったので、中庭を一つのゼミ場所として考えて活動するのもいいなって思った。暑くなるといやだけど、季節によってはすごくいいなって思った。

かりんのWS>みんなの様子をみておもったのは、「同じ情報でも、見ている視点やハイライトしているところが違う」が面白かった。聞くというのは、内容をコピーするわけじゃない。グラレコは、その人の価値観、考えを通して、その話の何が重要かを捉えていくことだと改めておもった。そうであれば、グラレコを時、聞く=自分なりにハイライトし、解釈することが大事だということを改めて大切だと思った。そして、それは人間ならでの力で(インターネットと社会Aでやったように)グラレコをするということは、インターネット社会で必要な資質能力を育てることにもつながるって思った。パソコンで何かを見せる時は、タブレットのほうがやりやすそうって思った(ゼミ生が必要な機材をいつでも使えるようにゼミの機材を整えておこう)

りなのWS>インプロと組み合わせるという発想がユニークだった。テキストでは動きは捉えにくいけれどグラレコはそれが得意。その得意を生かした内容だった。グラレコもそうだけど、さちのグループの即興劇がすごかった!そして、たみの場面(シーン)のつくりかたが最高にうまかった。たみは演出家になれるとおもったし、さちのスター性をすごく上手にひきだしていると思い、すごくワクワクした。このWSでゼミ生の素敵をまたたくさん発見できた!

ようへいWS>ものすごく安定感のあるワークショップ。説明が丁寧で全員がひとつひとつじっくり楽しめている。人から学ぶ、という軸をもちながらも、ゲーム性がはいっていて、みんなが思わずわぁ!って声をあげちゃうくらいの情動的な活動だった(気持ち声を抑えようねっていっちゃったけど笑))ようへいの立ち位置(適宜移動しながら全体の目線や体をうごかしていた)のも、全体に一体感をもたせるために大切だなって思った。

チャレンジは、やっぱりハイフレックス。オンラインのジウンがどう参加しやすいようにするのか、また楽しめるのか、そこが課題。教室が盛り上がれば盛り上がるほど、オンラインのジウンはその差を感じてしまうかもしれない。そのあたりをどうしていくか、考えつづけなきゃいけない。これはひとりで考えれないので、みんな一緒にその知恵を出し合いたい。

<4期生ゼミ>

第2回目のゼミ!初回と比べても場の空気がぐんっと暖かくなり、発達環境になったって思ってワクワクした。ゼミを始める時は、何をするかの大枠は決めるけれど、細かいことは決めない。みんなの顔をみて、様子をみて、感情を読み取ってそれから何をするかきめる。今日は最初はゲームから始まる予定だったけれど、「何するんだろう」っていう不安そうな感じもあったので、何をするのか、何をめざしたいのか、そこがあったほうがいいかな、と思い「なぜ岸ゼミではインプロをするのか」という「言葉づくり」からはじめた。意味がわからないことをさせられるのは怖いし苦痛。だから、自分たちで意味を作っていく大事な部分だけは残しつつも、なぜ、インプロするのか、というところの大枠だけはシェアしてから進めるのがいいなって思った。

「知っている人」「知らない人」とわけずに、「みんなが知っていることをみんなで知っていく」を実践できる環境が必要だと思った。「なぜ岸ゼミでインプロをするのか」では、第一回目の活動が「インプロ」というものであり、今日もその2段をすること。そして、インプロの経験が「やりたいと思った時にできる環境があり、その環境があるからやりたいと思う」という「弁証法的アプローチからの学習」であり、そのコンセプトで「場」をみんなで作っていく実践をしていることをシェアした。そして、その中で私たちは「苦しいな、つらいな、怖いな、しんどいな」と思うことを歓迎し、それを発達の可能性になることをシェアした。場によっては、「苦しいな、つらいな、怖いな、しんどいな」は発達の可能性になる(逆に場によってはそれはただ辛いだけの場でもある)。

「苦しいな、つらいな、怖いな、しんどいな」と思った時にそれをみんなで変えていくこと、それをみんなで「頭ひとつぶん背伸びする(a head taller)」というヴィゴツキーの概念でおさえた。そして、場づくりをする時、不完全なものをみんなで完成させていく(会話で共通のイメージをつくっていく)社会完成活動であることをおさせた。 いくつか専門用語をいれたけれど、これはホルツマン先生からもとても大切だと(つい先日)話したあったこと。ホルツマン先生たちの実践の場では、掃除の人もヴィゴツキーを語る。意味をつくる土台をみんなが共有することで、意味を生まれやすい環境にするという。なので、ゼミでも専門用語を負荷のない程度に少しずついれなかがらこれらの言葉を日々つかっていけるようにしたい。

たいちとあやかの企画はすばらしかった。二人の企画の前に、ちょっと負荷をかけつつ体をほぐすために空をつかった自己紹介した。居心地の悪さ、恥ずかしさを体験しつつ、それができる場をつくろうとおもった。それから本番開始!

たいちは、私がこれまでみたことがないほど、低いテンションのファシリテーションでこれがまた私にとって新しかった。なんか支えてあげなきゃ、なんか手伝えるかな、と始終おもった。完全に頼れるファシもありだけど、たいちみたいに、みんなが助けたくなっちゃうような、そんなファシリテートもいいなって思った。 あやかの企画はあやからしい、あたたかいものだった。最後にユンヨンとさちのあやかへの感謝の言葉をきいて、あやかに向けられた言葉なのに、自分ごとにように嬉しかった。今日もたくさんの嬉しいがあった。みんなありがとう。

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