2022/2/24 岸ゼミ/研究室フィールドワーク


岸ゼミ/岸研究室は、人種、宗教、性別関係なく尊重しあえる多文化共生社会の取り組みをする「ピープルポート」を訪問しました。「ピープルポート」は、「難民に安心と働く機会を提供し、地域社会に貢献をする集団となる」点においてとてもユニークで社会的意義のある取り組みをしています。

日本では、難民申請をしてから認定を受けるまでに8ヶ月の時間を有します(必ず、認定を受けることができるわけではありません)。その期間、難民申請中の人たちは、仕事もできず、生活も不安定で、人に頼りながら生活することを強いられます。本当に難民認定がとれるのか?もし取れなかったら?申請中の生活をどうしよう?人に頼りしかなく、申し訳ない、辛い・・と感じて日々を過ごす人が多くいます。

「もし自分で立ち上がることができたら・・」

そんな声を現実にしていくために、ピープルポートでは難民申請中の人々が、日本で母国や他国でも活かせる技術を学び、日本社会と「支援する/される」の関係をこえた新しいつながりをみなおし、日本に居場所がもてるような活動をはじめ、それを事業として展開しました。

私たちは、その代表の青山さんのお話を聞いて、特に印象的だったことを記事にしました。国際日本学部は、日本を世界に、世界を日本に発信する学部です。私たちは、ピープルポートで聞いたこと、経験したことを発信すると同時に、世界と日本をつなぐアクターとしても今後、活動を作っていきたいと思います。

★People Portのウェブ
https://www.borderless-japan.com/social-business/peopleport/

 

(1)つながりのリ・デザインー支援される人から共に社会を作るアクターへ(大谷温理)

「可哀想」ではなく「ありがとう」を集めたい。

これは青山さんが大切にされていることの一つです。私はこの考え方にすごく共感しました。難民という言葉が持つイメージをネガティブなものではなく、「ありがとう」の気持ちを通じて、ポジティブに捉える人を増やしていきたい。そう強く願う青山さんは、日々のお仕事の中でその言葉を体現されていました。

ピープルポートにおいて、難民の人々は支援される人ではなく、共に生きる仲間であり、共に「ありがとう」を作り出す仲間です。そこでは、難民として日本にやってきた人々が、正社員として働いています。彼らはパソコンのリユース・リサイクル事業を通して、日本の顧客と関わるなかで、仕事を始める前とは違う日本人との繋がりを持つようになりました。祖国を離れ、心に傷を負い言葉も理解できない日本へやってきた人々が、自信を取り戻すことは容易なことではありません。私の難民の友人は、日本にきてやっと安心して生きることができると思っていたのに待っていたのは過酷な現実だったと言っていました。決死の想いで逃れてきた人々を待っているのは、厳しい社会なのです。そんな難民の人々は、ピープルポートと出会うことで、日本の社会で生きる術を身につけ、社会の一員となり「ありがとう」を生み出す仲間となっていきます。そして、やがてその言葉が彼らの生きる力になり、そして誇りを取り戻すことにも繋がるのです。青山さんはパソコンの直接販売や営業の際に、積極的に彼らに同行してもらい、できるだけ彼らが直接顧客と関わるようにしているそうです。そうすることで、日本人と難民の人々の新しい繋がりができ、信頼関係や交友関係が生まれます。ピープルポートは人々のそうした繋がりを広げることによって、しあわせの循環を生み出している素敵な企業だと感じました。

  私も人々が「可哀想」というネガティブな感情で繋がる社会ではなく「ありがとう」というポジティブな感情で繋がる社会を作っていきたいと思います。

(2)自立解決ができる環境づくりー持続可能な発展のための職場づくり(戸澤 月)

難民問題は私たちにとっても身近なことであるにも関わらず、日本で暮らしている多くは、難民問題のことを、どこか遠い場所で起こっていることだと、自分ごととして認識しにくい現状があります。実際、日本は難民鎖国と言われるほど、先進国の中でも難民の受け入れ率が最も低い国です。難民受け入れ率の低さは、政府の姿勢の問題だと言われることもしばしばありますが、果たして本当にそれだけが問題でしょうか。私はそうは思いません。私は、日本が難民問題に取り組んでいくためには、なにより、私たち一人ひとりが、多文化共生の姿勢を持ち、難民受け入れの世論や環境を作っていくことが重要だと考えます。とはいうものの、日本の社会には、まだまだ「外国人」や「難民」に対して、ある種の偏見があり、それが差別や区別、排除を生み出しています。私はこの問題に対して常に問題意識を持ち、いかに、人々の意識や姿勢を多文化共生にむけて、促していけるのかを考えていました。

そのような中、ゼミのフィールドワークで訪問したピープルポートでは、「難民」という言葉が暗に含んでいた「援助される対象」「かわいそう」「何もできない」といった偏見を変えていくことを事業のひとつとして重視していることを知りました。

青山さんのお話を聞いて、ビジネスに対する見方、考え方が大きく変わりました。私はビジネスに対して、効率性や利益を重視するため、多様性に対してどうしても排他的になってしまうものだとばかり思っていました。しかし、ピープルポートは、そうではありません。ビジネスと社会問題の解決を両立しています。青山さんから、設立の背景や会社運営、ビジネスモデルを聞いて、それは目から鱗でした。ビジネスは社会の問題を解決できる。そんな、社会問題に当事者意識を持って活動する会社が世の中に溢れれば素敵な社会になるんだろうな、という実感を得ました。

 

(3)居てもいい場所、ではなく、居たい場所づくり(ラーマ)

居場所とはどんなところでしょうか。私が考える居場所は安心して、いたいと思う場所です。その居場所を作るのに、大切な人の繋がりと思いやりが必要です。人と人の間でどんなに違いが大きくても、お互いを認め合って、理解しようとし合い、思いやることが居場所を作るのにとても重要なことです。自分に居場所がないことを想像してみてください。途方に暮れて、孤独で、悲しい気持ちになると思います。では、日本に来る難民は日本で居場所があるのでしょうか。戦争などが原因で国を逃れて、言葉も文化もわからない状態、そして経済的にも苦しい状態を想像してみてください。命が助かったものの生活をするのに精一杯で言葉の壁で働く場所をなかなか見つからず、居場所もなく、友達もいません。

ピープルポートは来日した難民の苦しい状態に寄り添っています。とても傷ついて国を逃れた人たちに「日本に来てくれてありがとう」と伝えていることが印象的でした。それは「安心できる場所」という認識を作るために大事な一歩だと思います。パソコン再生や修理というビジネスの選択は世界共通の技術であり、言葉の壁が軽減されます。言葉ができなくても技術さえ覚えてしまえば自然と働けるようになるということです。さらに言葉で困ってもゆっくり話を聞いたりお互いを助けたりすることもとても素敵で印象的でした。加えて、ピープルポードは難民を「支援」しているのではなく、お互いのいいところを引き出して、お互いに役に立っているところがとても重要だと思いました。そして、そしてこのビジネスは難民のプライドを傷つけないのでどこまでもピープルポートは難民の気持ちに寄り添っていると思いました。偏見ゼロでお互いに寄り添い、理解し合い、色々な文化を持って新しいことに挑戦する環境はまさに「いたい場所」に繋ながります。もちろんその「居場所」を作るのに難民側の協力と気持ちが大事になってきます。相互作用でない限り、「居場所」を作ることが難しくなります。

ピープルポートは難民に職場そして「居場所」を難民と一緒に作っています。私はピープルポートみたいに、偏見を持たず、オープンな心を持つ人が増えることを願っています。

(4)つながりのなかったところにつながりをつくる活動(富田楓子)

ピープルポートでは、修理と店頭販売の他に、児童養護施設や学校へのパソコン販売も行っています。再生されたピープルポートのパソコンは、市販で販売されている他のパソコンより値段設定が安価になっています。そのため、経済的に裕福でない児童養護施設の子供たちにもパソコンを届けることができ、教育現場の急激なオンライン化に対応する助けとなっています。更に、施設や学校へのパソコンの納入に正社員として働く難民も同行することで、それまで関わることのなかった、児童養護施設や学校の子供たちと新たなつながりを作ることができるそうです。青山さんは「難民自身が直接お客様と関わって、つながりのなかったところにつながりを作れることが、B to Cのビジネス形態から得られた大きなメリットかもしれません。」とおっしゃっていました。

まだ日本では馴染みのない存在である難民に関心を持つために最も重要なのは、「つながる」こと、そして「身近に感じる」ことだと考えます。私自身も難民という存在に初めて関心を持ったのは、オーストラリアの学校に通っていた際のクラスメイトが難民だったからでした。この出会いがなければ、今ほど難民に関心を持てていなかったかもしれません。また、出会い方もとても重要だと思います。日本で難民という言葉を聞くのは、大抵ネガティブな場面です。遠い国で戦争が起きた時にニュースで流れてくる言葉、たまにNGO団体のCMで耳にする言葉くらいの認識ではないでしょうか。多くの人が難民を「支援する対象」として見てしまうのも仕方がない気がします。しかし、パソコン販売を通してつながった子供たち、パソコン修理の依頼に来る人たちは、「勉強するための道具を売ってくれる人」「大切なパソコンを修理してくれる人」として、難民と出会います。この出会いは、「難民は私たちと同じ人である」という、日本社会の中で無視されてしまっている当たり前であるべき事実を思い出させてくれる出会い方だと感じました。

こうした一つ一つの地道なつながりの積み重ねの先に、日本が難民にとってより良い居場所となる未来があるのではないかと感じました。私自身も、難民と関わるコミュニティとのつながりを今後も持ち続けていきたいと思います。

(5)手間から生まれる価値、関係性(久保槙祐野)

今回の青山さんのお話の中で、日本語や英語があまり上手ではない人や、力仕事ができない人などを優先的に雇用している、という話を伺いました。もし、自分が責任者として勤務している職場に、自分の言葉が通じないかもしれない人が来る、ということが、私は想像できませんでした。仕事をする上で、ホウレンソウなどのコミュニケーションは必須です。言葉が通じないということは、それらがうまく機能しないということであり、そんな状態でどうやって仕事をしているのか、お話を聞いているときは全くイメージができませんでした。そして、そのことについて質問をして、返ってきた答えはいたってシンプルで、あまりにも当たり前のことでした。「お互い伝わるまで時間をかけて丁寧に話す」ということです。そんな当たり前のことを、”できない”と考えていた自分が恥ずかしくなりました。しかもそれは、自分が、海外で働いていた時に、上司や同僚や友人にずっとやってもらってきたことです。青山さんは、コミュニケーションコストは通常よりもかかる、とおっしゃっていましたが、そもそも言語はそうやって上達していくものですし、最初は時間がかかるのが当たり前です。その”当たり前”に時間をかけてくれる組織というものが、 People Portと青山さんの大きな魅力の一つであると感じました。また、コストが”かかる”というと、良くないことのように聞こえますが、コミュニケーションコストを”かける”ということは、よりお互いのことを知ることにもなり、信頼関係を構築することに繋がるのではないでしょうか。私が飲食店の店長として勤務していた時、何にも手をかけなくても仕事をこなしてくれるアルバイトよりも、仕事を教えるのに手間はかかったけれどその分たくさんコミュニケーションをとったアルバイトのほうが、最終的に店(私)への貢献度が高かった、ということを思い出しました。お互いのことを良く知っていたからこそ、頼んだり頼まれたり、相談したり、というやりとりがスムーズにできていたのだと思います。人と人が何かを一緒に行う時には、コミュニケーションはサボってはいけない部分だと思います。同じ言語が上手ではないからこそ、丁寧で一生懸命なコミュニケーションが生まれ、信頼が生まれ、どんどん良いチームになっていくのではないかと思いました。

 

2022/2/16 言葉と絵本のライブラリーミッカ

ゼミ生の報告を一部紹介!
報告書全部を閲覧希望の方は、ご連絡ください。

<新しい出会いと久しぶりの出会い>

「ミッカった!」

大学卒業まで2ヶ月弱。
初めてのフィールドワーク。

ゼミで過ごした2年間で実践から、理論から、学びを得ていたけど、それがどういった形で社会と繋がることができるのかわからなかった。

ミッカは「余白」がある「未完成」を共に「完成させていける」場所でした。
何者かであると同時に何者かになりつつあることが楽しめるような場所。

子供向けの本もあれば大人向けの本もある。子どもは新しい出会いが多いかもしれないけれど、大人は新しい出会いと懐かしい出会いがある。

絵本を見て思い出す記憶っていいなって思いました。
鮮明な記憶はないけれど、
これ、知ってる!
懐かしい〜〜〜
そんな風に思い出した瞬間がすごく幸せでした。

ミッカという場所で、子供にとっても、大人にとってもワクワクとドキドキが生まれるのは、未完成を共に完成させていく環境デザインされているから。

正解を求めてただ道を歩むのではなく、こうしたらいいかも、ああしたらどうかな、と日々の気づきと新しい挑戦を持って場づくりがされているんだろうと思いました。

今までの学びの点と点が結ばって、線ができて、何かすうぅと腑に落ちた気がします。

<「やってミッカ」の魔法>

ずっと気になっていたミッカ。やっと訪問できました。

初めてこの施設に足を踏み入れたときの印象は、「うわあ、ごちゃまぜ!」
大人の本とこどもの本が混在しているし、床の質感も歩いていくと全部違うし、図書館のなのに遊べるわくわくな場所!円形にできたこの図書館を歩くと、同じ導線なのに毎回毎回新しい発見があって、色んなところに工夫が施されているんだなと思いました。
このミッカでの経験で感じたのは、「やってミッカ!」精神は、こどもも大人も必要だということです。普通の図書館は、大人用の本と、子供用の本が区別して置いてあるけれど、それをあえて混ぜてみるという大人側の挑戦。子供たちは、それを見て、難しそうだけど面白そうな大人の本を手に取って読んでみて、わからないけど本って面白い!と、好奇心やわくわくに繋がる。ミッカは、この「やってミッカ!」の循環が目に見えてわかる空間で、なんだか勇気をもらいました。
自分自身も童心に戻れたし、自然と子供たちや保護者の方とコミュニケーションを取っていたのも、この空間の魔法だと思いました。とにかく楽しかった!