19日(火曜日)はUNRWAで調査研究の事前準備。
カマルとムハンマッドさんに調査研究の概要を説明して、研究方法の手続きについて共有し、翌日(明日)に実施することになりました。

ちょうど、カマルの紹介で、Health ProgrammeのディレクターSさん(日本人)のお話を聞かせてもらうことができました。アポなしの面会にもかかわらず、歓迎していただき、シリアの状況、ガザの状況について詳しく教えていただきました。

少しだけ聞いたお話をシェアしたいと思います。Sさんはシリアにいくため2年もの間ビザ申請をして3日間だけシリアのビザを取得でき、最近、シリアに入国されました。アブロマーネなどダマスカス市内の一部では、普通の日常の生活のように見えるけれど、遠方では空爆の音が聞こえてくるそうです。 一方、ヤルムークなどの地域では、今でも戦闘状態が続き、人の出入りがほとんどできません。幸運にもヤルムークから逃げてくることができた女性の話によると、ヤルムークの中は、「地獄よりひどい」そうです。 彼女は、夫を失い、3人の子どもと一緒にヤルムークで生活をしていたけれど、食料も飲料水も手に入らず苦しい生活をしていました。ヤルムークの様子を伝えるメディアが「食料がなく、犬や猫を食べる人もいた」と報道していたが、それも本当にあったほどひどい飢餓状態が続いていたそうです(注)。彼女の一番下の子どもがこのままでは死んでしまうと判断した彼女は、決死の思いでヤルムークを出る事にしました。 ヤルムークから出るには、2つのチェックポイントを通過しなければいけません。まずはじめに、自由シリア軍のチェックポイント。もう死にかけの子どもを抱いた女性を見た兵士は彼女を無条件でチェックポイントを通過させました。その数百メートルあとには政府軍のチェックポイント。ここでも、兵士達が彼女と死にかけた子どもをみて、彼女にチェックポイントを通過させました。その時、兵士たちは、自分たちが持っている食べ物をかき集めて、彼女と彼女の子どもに渡しました。彼女の子どもは、それらの食べ物をみて、すぐにパンに手を伸ばしました。他にも食べるものがあるにもかかわらず、パンだけ食べたそうです。 兵士が、「他にも食べるものがあるのに、何故パンだけ食べるんだ?」とその子に聞くと、「ずっとパンを食べれることを夢みていたから」というのです。 (注)ヤルムークは飢餓で苦しむ人が多い中、お金がある人は食べ物を手に入れることができるそうです。また自由シリア軍に入れば食料が与えられるといった交渉などもあり、お金もなく、また軍に入りたくない人たちは、彼女のように餓えを選ぶしかない状況だそうです。 最近では、完全に閉鎖され、孤立していたヤルムークですが、UNによって食料も医療品も少しは届けられるようにあったそうです。 詳細はコチラ: http://www.unrwa.org/newsroom/emergency-reports/syria-regional-crisis-response-update-77 しかし、状況がまだ最悪なのは変わりありません。中にいる人は外に出ることもできず、様々な葛藤の中で生きています。 Sさんの話で一番印象深かったのは、「彼らが一番辛いのは、未来が見えず、希望が持てないこと」といった言葉です。この言葉、実は、ヨルダンにいるシリア難民たちからよく聞く言葉でした。 「餓えは苦しいし、空爆や銃撃戦は怖い。家族や友人が殺されたり、傷ついたりすることは辛すぎる。辛いのはそれだけじゃない。未来が見えないことは本当に辛い。」と。 食料や医療、衣服などの支援ももちろん必要不可欠ですが、彼らが抱えている問題は物質的なものの不足だけではありません。暗闇の中を足下が全く見えないまま歩き続ける。それがずっと続く。何も見えない。こんな絶望の中で生きている彼らに少しでも希望を持てるように自分は何ができるのだろうかと考えました。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA]]>

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