19日(火曜日)、UNRWAでの打ち合わせを終えた後、思い立って、アンマン郊外のマダバに行くことにした。夕方3時半からアンマン郊外に行くなんて、無理かな、、と思ったけれど、できるかどうかじゃなくて、できなくても「今」を大切にしなくちゃいけない!と判断し、強行した。

コトの発端は、カマルの家での前日の夕食後の会話だった。

「今の生活に心から感謝している。家族がそろってヨルダンで安心して生活ができていること、ここにいる家族とシリアにいる家族を支えるためための収入があること。感謝しても不満なことは何も無い。ただ、子ども達は未来を描くことができず、退屈している(今を楽しんで生活できていない)。」とカマルが言った。 それは私が子どもたちに、不適切な質問をしたことへの応えだった。 「将来どうしたい?」 何気ない会話のはずだった。でも、あの子たちはそれに応えられない。それを実現する方法を今持っていないのに、それにどう応えられるのか。 上記の会話は、子どもたちが「いつか日本に行きたい」「日本で勉強してみたい」といった話となり、穏やかに過ごせたけれど、私の中では、モヤモヤしたものとなった。 そこで思いついたのは、「一緒に旅行する」ということ。カマルの家族に「楽しみ」や「今を楽しめる時間」をプレゼントしたいと思った。とはいうものの、時間がとれるのは、急にカマルも仕事を休めないので翌日の仕事終わりの時間(3時以降)。それに、カマル達が郊外に出ることは簡単なことじゃない。彼らはシリアからきたパレスチナ難民。そのため、ヨルダンにいるパレスチナ難民とは違い様々な制限がある。つまり、アンマン郊外に出る許可が必要なのだ。 翌日。カマルたちがアンマン郊外に出る許可は取れた。仕事が終わってから行ける旅行は、2時間くらい離れた場所が限界。そこでマダバにいくことになった。 しかし当日に手配できる車はそうそうない。ミニバスは手配できなかったのでタクシーを2台使って移動することになったけれど、2台のタクシーが一緒に移動するのは簡単なことじゃない。 そこで、ラドワンのお兄さん(ジャマル)に相談したところ、友人とその友人を紹介してくれ、車を手配してくれた。 助けてくれたのはシェフワーダハとコダイバ。午後1時くらいに相談したにもかかわらず、午後3時半には車を手配して迎えにきてくれた。 二人の協力のもとマダバを訪問。シェフワーダハとコダイバは、せっかくなので、とマダバから30分のところにあるモーゼの終焉の土地(ネボ山)とさらに40分ほど離れた死海にも連れて行ってくれた。 子どもたちは大喜び。カマルも奥さんもとっても喜んでくれていた。嬉しい! シェフワーダハとコダイバの心遣いに、みんなとても素敵な時間を過ごせた。シェアフワーダハには私は1度しかあってないし、コダイバは、友だちのお兄さんの友だちの友だちで私は会った事もないにも関わらず、みんなが楽しく過ごせるようにとても気配りをしてくた。 アンマンに帰ったのは、午後9時。シェフワーダハたちに本来かかるはずだったタクシー代を払おうとすると、受け取ってくれない。「困ったことがあればなんでも助けると以前いっただろう?」とシェフワーダハ。 そう、シェフワーダハは、両親を失ったシリアの孤児たちの里親を捜したり、子どもたちが慣れない土地(ヨルダン)でちゃんと生活ができるように支援をしたため、前回の訪問の際、妹たちが預けてくれた子ども服を渡したくて一度だけ会った事がある。その時の約束を覚えて、今日は私の急なお願いに応えてくれたのだ。 そう、シリア人ってそういう人たちなんです。こういうやさしさにどれだけ今まで救われてきたことか。 幸せな笑顔と暖かい優しさをたくさんもらって、とても幸せな一日を過ごすことができました。 10616065_811759938865012_6206018002832858965_n]]>

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