2002年からずっとパレスチナ人と一緒に仕事をしてきたので、一度はパレスチナ(イスラエル)に行ってみたいと思っていた。当時、パレスチナ(特にガザ地区は)イスラエル人入植者の問題で治安が不安定だったので、少しは迷ったけれど(少しね)、やっぱり、行きたい気持ちが強くなり、ヨルダンのキングフセイン経由でパレスチナ(イスラエル)へ。 当時、私はアラビア語が抜群にできたので、すごく楽しかった。 国境を越えて、エルサレムに向かうバスの中で、あるパレスチナ人にぼそっと「私たちの国、パレスチナへようこそ」といわれ、そのつぶややきにアラビア語で返事をした時の彼らの反応^^ バスに乗っていたパレスチナ人たちと一気に目があって、おしゃべりできたときのお互いの高揚感。忘れられません。 私のアラビア語はシリア方言(フスハに近い)だけど、パレスチナ方言も結構まざっているので(わざと使ってみたり)、またそれが彼らにとってストライクだったようです。 パレスチナに帰りたくても帰ることができない多くのパレスチナ難民の同僚や友人の気持ちを知っていただけにパレスチナに行った時は何もかもが感慨深かったです。 当時(2002年くらい)は少しずつインターネットが使えるようになっていた頃で、「私の出身地のタントゥーラの写真を見せくれよ」「祖父たちはここに住んでいたのか」なんてネットにある写真をみながら祖国を思い浮かべていた彼らを見て、とても複雑な思いでいっぱいになったのを覚えています。 ガザ地区の聾唖者のための教材制作というミッションもとても興味深かったし、その制作のプロセスでガザが抱えている様々な社会問題について知れたこともすごく貴重だった。 私にとっては特別な時間と経験を一緒に過ごしてくれたTくんと再会することで、かつての記憶を思い出す以上に何か大切なことを思い出しました。 何となくいろいろ疲れた頃に、初心に戻る機会を与えられることに感謝感謝。新しく出会った多くの人とも、また新しいことにチャレンジできればいいな、と思います。
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