久保田 賢一先生の院を出た人なら、みんなが「あー、でた〜。それ」と聞いたことがあるものです。(ちなみに学部生に対しては、仏のように優しいです)

今日も、この言葉が発せられました。 私の師匠は、「できない」という言葉を絶対に許しません。「できないじゃなくて、やるんだよ」といって、やらないという選択肢を一切与えません。”一切”です。この重圧に耐えれず、去った人も少なくありません。 今日も、D判定に近いC判定の(共同研究の)原稿を国際ジャーナルに採録されるように書き直せと言われ、時間的にも体力的にも余裕がない私は「無理です」と応えた。その原稿を採録に持っていくクオリティにするのは非常に難しい。自分が査読者なら明らかにD判定の原稿だから。が、予想どおり・・・ 「できないじゃなくて、やるんだよ」というお言葉。 ちょっとやそっとの修正じゃ駄目で、かなり大幅に書き直す必要がある原稿。でも、もうやるしかない。 覚悟を決めて、修正に取りかかりました。ふっ。 振り返れば、この言葉によってずいぶん鍛えられたと思います。昔は「自分にはできない」とやらなかったことは少なくなかったのですが、今では「できない」と考えたことはほとんどありません。むしろ、自分には難しそう(無理そう)なことでも「どうやったらできるかな?」と考えるのが癖になっています。 「できるか、できないか」の判断基準は、能力、時間、機会、環境、お金、人間関係、情報(リソース)、その時の状況などいろいろなものが含まれます。できないものをできるようにするには、それらの何かを動かすことで「できる」という全体の流れをつくることができます。たとえば、能力的にできないのであれば、時間や機会や人に働きかけることで自分の能力をあげながら対応できるし、時間的にできなければ、能力をあげて時間を作ればいい。 「できないじゃなくて、やるか、やらないかだ」 上記の言葉と同じくらい多く師匠が発する言葉です。 「やる」という意識があり動き始めたら、何かを動かせるので、何かが変わります。何かが変わると「できない」状態から「できる可能性」にかわり、可能性は「実現」にむけて具体化していきます。そして「できる」のですよね。 「無理!」と投げ遣りたい気分ですが、覚悟を決めました。やります。で、やるからには、全力でやりますよ。 ★写真は、シリアのUNRWA教育開発センターの前で田邊 則彦先生たちと撮影したもの。そのご縁で、7月に田邊先生が勤務されている大阪の高校で講演することになりました。シリアやパレスチナ難民の問題を中心にグローバルイシューについて講演します。425人の高校1年生にどんな話しをしようかしら。 11536506_972166212824383_2194961262047151164_o
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