しかし、学生からの振り返りシートを見てみると、よく内容を理解していたし、パレスチナ難民が置かれている現状、背景、教育事情、そして教育の問題、Flash教材(視聴覚教材)が何故彼らに不可欠なのか、という点についてよくわかっていたと思う。多くの質問もあり、カマル氏にすべて答えてもらう形で講演を終えた。 関心のある人は資料はUsing FLASH at UNRWA schools からダウンロードしてください。 来週は、国際教養学部で講演することになった。今回はメディア活用の観点からパレスチナ難民の教育について話してもらったが、来週は彼自身の「難民」としてのライフストーリーを語るである。 (気づき)今回、カマル氏と一緒に資料を作成していく中で、ちょっとした葛藤があった。パレスチナ難民について説明するのに、パレスチナがイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地であることを述べ、それぞれの宗教にとって、なぜエルサレムが聖地なのかについて写真を乗せた。そこにはユダヤ教徒が嘆きの壁にむかってお祈りをしているところだが、カマル氏は、「この写真は見せないし、ユダヤ教にとってエルサレムが聖地であることも言わない」と主張。その理由として、「嘆きの壁もまた彼らのものではないし、それを理由に土地を占領することは許されるべきじゃない。私はそれを断じて正当化できない」というのである。学生に講演するのに、偏った考えを示すべきじゃない、立場をわきまえ中立であるべきだ、というと、「絶対に嫌だ」というので、結局そのスライドはすべて消すことにした。「語る」ということは、かならず「主観」が入る。ジャーナリズムも同じだが、公共の場で話す場合は、中立な立場から語ってほしいとは思うが、やっぱりそこには情報発信者の「主観」が入る。それが際立っているか、そうでないかの話だし、まぁ、仕方がないのかもしれない。]]>
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