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全部で4つの映画を見た。
「シリア、踏みにじられた人々と希望」@シリア難民
「いてはいけない人」@パレスチナ難民
「旅立ち」@ウガンダ難民
「異国に生きる」@ミャンマー難民
シリア、パレスチナの映画については、懐かしのアラビア語。
また昔のようにみんなとワイワイ話したい。
アラビア語の世界の自分は、認知より情意を中心に生きていた気がする。
ところで、どの映画にも共通していたことは、
経済的、宗教的、政治的な理由から命に危険があるため、
安全な国へ難民として逃げたのだけれど、いつかはみんな帰りたいという。
シリアにいた時もよく耳にしていたワットニー(我が国)という言葉。
どんなに新しい社会で安全で安定した生活を送っていても、
やっぱり自分の国に帰りたいんだ。
私は、日本人として日本に住んでいるので、よく分からないところがたくさんある。
でも、長年、パレスチナ難民の友人たちと共に時間を過ごし、価値を分かち合い、生きて生きたのだから、彼らの視点からこの問題について考えていきたいと思う。
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ちょうど、今日、箕浦先生との文献ゼミがあり、
「文化と行動の関係」について議論をした。
映画の話と関連づけながら考えた。
文化における行動を考える時、ひとつは「社会化」という概念がある。
ある新しい文化に移動した時、人はその文化の価値や規範を内化し、その社会で”適切”に振る舞えるようになっていく。もちろん受動的なものではなく、既有規範や価値観と自分の中で対話(交渉)しながら調整する。そしてそのプロセスには、「他者性」が不可欠である。そうやって新しい社会の中でうまくやっていけるようになる。
文化と行動の関係を考える時、社会化だけでは説明できないことは少なくない。今回の難民映画際にでてくる主人公たちの姿をみてそれを考えた。安全で安心に、第三国で暮らし、生活にも慣れ、友達もでき、生活の基盤ができても、やはりいつかは帰りたいという。つまり、人々の行動を文化という枠組みだけで理解できないということではないだろうか。私達の行動は帰属する文化だけではなく、歴史的なもの、生態的なもの、家族的なもの、いろんなことが関連しているんだろうなぁ、と思った。]]>
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