ター(Educadtion Development Center)で勤務し始めた時、最初の1ヶ月は結構大変だった。当時、EDCの同僚は、ワファをのぞいて全員、男性。保守的なイスラムの人たちの間で、女性で、しかも当時比較的若く、外国人の私が、彼らと一緒に仕事をするのは、当時結構大変なことだった。 最初の頃、職場の人は、みんな私が何者なのか、何ができるのか、どういう人間なのか探っていたんだろう。私に近づくことなく、遠目から様子をうかがうような感じだった。また、男性から女性に声をかけるという習慣がなかったため、同僚達から私に声をかけてくることもほとんどなかったし、私が同僚たちに声をかけても、彼らは私にどう対応すればいいか分からず、なかなか距離が埋まらなかった。 朝のお茶会も昼食会も同僚たちとは別々。彼私は秘書のサウサンやハナンなど女性たちと一緒に食べていた。なかなか埋まらない同僚との距離に、どうにかならないものか、文化的なものだから仕方が無いのか、とよく悩んだ。 そんな私が、彼らの中に入れるようになったきっかけのひとつは、エマード(アブ ラーミー)だった。彼は、体育科目のスーパーバーザーだ・・・った。 エマードは、女性の私にも全く躊躇なく、私にGive and Takeをオファーしてきた。「今度、パレスチナの子どもたちがパレスチナダンスをするから映像撮影と編集をしてくれないか。その代わりに、まこがこの前言ってた学校へ車でつれてやるから」といった具合に。 エマードのオファーはありがたかった。同僚たちの仕事に関われるきっかけになった。エマードは、Art&Musicのスーパーバイザーのイブラヒムと一緒に、パレスチナダンスや演劇などパレスチナ伝統に関連する活動にかなり幅広く関わっていた。エマードのおかげで、パレスチナのことをよく知れるようになったし、なによりいろんな人と出会わせてくれた。先生、地域の人たち、子どもたち・・・。 いつしか、同僚とは本当に良い関係が築け、同僚たちと、数えきれないくらいの教育実践を一緒に創り出してきた。 その後もずっと、内戦が始まるまでの10年間、UNRWAの同僚たちとは連携していろんな教育実践をしている。 エマードとも会う度に、「ちょっと頼みたいことがあるんだけど(エマード)」といわれ「じゃ、何してくれる?(私)」と駆け引きを楽しんでいた。最後にエマードと交渉したGive and Takeはなんだっただろう・・・。サマーキャンプの活動のことだったかな・・・。 そのエマードが、亡くなった、と連絡を受けた。 涙が止まらない。 今は、彼との出会いを、彼との時間を、思い出して語るしかできない。]]>

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