NGOとの連携をテアロンさんと検討する上で、大学生の「態度」について観察するため、同行した。

トランサップ湖には、かなりの数の人が住んでいる。その様子はテレビでも報道され、観光地化が進んでいる。高床式の木造の家が立ち並ぶ。人々はトレンサップで漁業を営み、湖の上で暮らしている。
観光地化に伴い、モーターボートがものすごい音をたてて、人々の生活をみながら湖にでる。会話もできないくらいの騒音。静かな生活をしていた人たちは、この音に悩まされないか心配してしまう。それに、カメラをかかえた観光客がボートにのりながら写真をとてすぎていく。子供たちから大人まで漁業を営んでいるわけだが、裸の人もたくさんいる。どんな気持ちで写真をとられるのだろう。生活をのぞかれてどんな気持ちなんだろう。
いろいろ考えさせられるところだが、PUCの学生は全くきにせず、写真をとる。時には大きな声でわいわい騒ぎ、ゲームをして遊び始める。静かな漁業の村の人に、若い学生が大声で笑い、写真をとりながらすぎていく。
NGOの人たちが大学生と連携したくないというのはこういう態度にあるのはとてもよくわかる。インドでも、ガヤ大学の学生の村での態度はひどいものだった。子どもがゴミ箱にごみをすてているのに、そのまえで道にごみをすてたり、子どもにむかって、しっしっといって追い払ったりしていた。
旅行気分なのはわかるけれど、ここはリゾートでもテーマパークでもない。人々の生活の生活がある。カンボジアの人はやさしく、思いやりがあるのに、なぜ大学生が集まるとこうなるのか。
カンボジア(インドでもバングラデシュでも)、大学に進学できるのは、一部の経済的余裕があって、親が教育に理解がある(両親が高い教育をうけている)人たちである。彼らの中には、海外からの支援をうけたり、ゴッドファーザーがいたりする農村地域の生徒もいる。いずれにせよ、恵まれた環境にいる学生たちだ。彼らは、「カンボジアの農村地域は貧しい」というが、本当の農村地域のまずしさについては知らない。しかし、彼らは「しっているつもりつもり」になって、現場から学ぼうとしない。現場に対しての謙虚さがない。
テアロンさんが大学と連携することを躊躇するのはこの点にある。そして私はそれがよくわかる。私も、インドで日本の学生が農村地域でボランティア活動をするのであれば、現場の大学生と連携するのは、難しいと思った。だから彼の気持ちはよくわかる。
今後、大学と連携してNGOと協働するのであれば、PUCの学生の態度をどのように改めていくのか、というところが重要になってくるだろう。それができるのは、おそらく日本の学生だけである。現地NGOが大学生や大学生の教員に注意をしてもおそらく態度は変わらない。それどころか、お互いの関係が悪化するかもしれない。でも、外国人である日本人がやんわり注意することで聞き入れられることはある。もし、PUCの学生が村での問題を本当に理解し、適切に振る舞い、NGOと連携できるのであれば、日本人が短期間NGOを支援するよりずっとサステイナブルな取り組みになるだろう。
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