私の研究テーマのひとつが、途上国との交流学習である。米国や欧米など先進国との交流学習は、現在はかなりの教育機関で実施されている。その一つが、先進国の教員や児童・生徒のほうが、リテラシーが高いのでコミュニケーションがとりやすいこと、教員同士の教育観・学習観が類似しているので、PBLのような学習活動を合意し実施しやすいこと、インターネット環境が整っていることなどがあげられる。 一方、途上国との交流は、教員、児童・生徒のリテラシーが高次な学習活動である交流学習をする上では十分でないこと、教員が知識伝達型の教育しか受けていないため、PBLのような学習活動を理解してもらえないこと、インターネット環境が悪く、予定通りに学習活動を進めることができないことなどがある。 そういう様々な問題があるが、私の関心は、途上国と日本の児童・生徒をつなぐ交流を実現したいのである。私が、小学生のころ、海外=米国と思っていた。映画に出てくる黒人やアラブ人は、悪役やサブ的な存在だと思っていた。将来はアメリカ人みたいになりたい、と言っていた事を覚えている。今思えばなんて狭い世界に生きていたのだろうと思う。世界は広くとても美しかった。価値観は多様で、とても尊敬すべきことが多かった。我々の生活にはすでに米国や欧米の価値観が入ってきてるため、その価値観のものさしで物事を考えたり、行動したりしてしまうが、そうではない。物差しは多様なのである。そういうことを知るためにも、途上国との交流を実現したいのだ。 そういう思いを共有できる先生が何人かいる。その一人が関西大学初等部の三宅先生だ。インドとの交流をしたい、ということで、シッダールタさんと一緒に初等部に行ってきた。シッダールターさんは、関大初等部の設備をみて開いた口が塞がらない,という状態だった。インドの学校とは大違いだ、と驚きを隠せない。三宅先生が、シッダールタさんの学校と交流をしたいということを申し出ると、是非やろうということになった。 ところが、そのあとシッダールタさんが私に言った。「気になることがひとつある」というのである。それは、インドの生徒が日本と交流することは新しい学習活動で刺激的で、日本に関心ある生徒にとってはとてもモチベーションになると思う。しかし、写真やビデオでこの学校の施設などをみたら、インドの子たちは、「自分たちはやっぱり貧しいんだ」、「お金がないとこんな惨めな生活しかできないのだ」、「やっぱりお金が大事なんだ」、「ホワイトの人たちと自分たちは違う」、「世界が違う」、「日本人はやっぱりお金があるんだ」、という考えを持つ生徒も出てくると思う」というのだ。シッダールタさんの学校に通う生徒は、インドの学校にも通えない村の子たちである。学校に通えない子どもに教育を与えたいという思いから学校を立ち上げ、現在800人の生徒が通っている。学ぶことをようやく楽しむようになった生徒たちが、日本と交流することで「結局、勉強したって無駄だ」と思うと逆効果だという。シッダールタさんの言う事はまさにそのとおりだと思う。 一方、日本の児童・生徒にとっては、インドとの交流はとてもいい学習テーマとなる。今回交流する生徒たちは児童労働を経験したり、電気やガスのない村で育った子たちである。グローバル一シューを学んだり、異文化理解につなげたりすることができる。 お互いにとってWin Win になるテーマが必要になる。以前、パレスチナ難民キャンプの生徒と交流をした時は、問題がなかった。なぜなら、難民キャンプの子たちにとってパレスチナの現状をしってもらうことが交流の目的だったからである。そのため、日本の生徒は、パレスチナの問題について、遠慮なく何でも聞くことができた。グローバル一シューを学びたい日本の生徒と、自分たちの現状について日本人に知ってもらいたいというパレスチナ人生徒の目的がマッチした。インドの場合はどうだろうか?テーマについてしっかり検討しなければならない。]]>

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