本日は、Action Reserachに関する研究論文について議論した。Insider-outsider: Activating the hypehnという論文である。これは、自分が所属している組織について研究することについて述べられた論文である。

自分が所属している組織だからこそ、見えてくるものがある。自分が所属している組織だから、すでにできたラポール、人間関係、仲間関係がある。しかし、insiderだからこそ限界や制限もある。「あなただから話すけれど」という部分をどこまでデータとして使えるのか、という点を議論した。
文化人類学の手法であるエスノグラフィーにおいても研究者がどの立場から現場と関わるかについては長く議論され、ひとつのパラダイムシフトがあった。それは、エスノグラフィーは、客観的な立場から他者が記述するのではなく、現場の人との相互作用によって構築されるという考えだ。
さらに新しい考えかたも入ってきている。
ひとつは、自分の組織について調査することである。これは、また新しい考えであり、チャレンジである。自分が所属している組織、そこにいる人々を自分の関心の観点から分析する。他人を通して自分を分析、言い換えれば、自分の分身を自分の解釈という尺度で分析する。なぜなら、質的研究において、研究のinstrument は自分であるから。そのinstrumentを使う説明をするということは、自分をさらけだすということ。
もうひとつは、ライフヒストリーを自分自身が記述し、研究することである。たとえば、グアテマラ、マヤ族で虐殺から息逃れた人、リゴベルダ・メンチュウ(ノーベル平和賞受賞者)のライフストーリーをグルゴスという人が論文、本として発表。脚光を浴びる。これに対して、リゴベルダ・メンチュウは、「それは私の語りだ。」といって批判。では、自分のライフストーリーを書いたとして、それは果たしてグルゴスの著書のように注目を集めたのだろうか。
心理学では、自叙伝(an autobiography)を論文として認めない。自分を研究のテーマとはしない。しかし、文化人類学や民俗学では、少ないが論文として採用されたケースはいくつかある。今後自分で自分を分析して研究論文にしていくようなことも増えていくのだろうか?
★関心のある点★
自分の組織について、インサイダーとして研究することについてもっと議論があってもいいと思った。可能性と限界を整理しておくことも大事。自分の組織や仲間を研究対象とすることは、確かに外からの人では見えないことも見えてきたりするけれど、逆にインサイダーだからこそ、扱えないこともあるはず。これについて整理して、まとめることはいいと思う。私も、インサイダーとして自分が関わっている組織について研究しているので、これについてまとめて質的研究学会で発表するのもおもしろいかもしれない。
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