(1)教育工学とは、すなわち「インタラクションをどう支援、実現するのか」である。 非常に共感できるし、同様の考えを持って、授業設計の開発をしている。学習とは何か?と考えたときに、はやりそこには、人とインタラクション、メディアとのインタラクション、制度とのインタラクションなど様々なインタラクションがある。そのインタラクションをどう支援するのかを考えることが教育工学の視点のひとつであると思う。 (2)研究者と実践者の関係 金西先生は、教育工学研究では、大学の先生が、自分が開発したシステムや教材を使って授業を実施し、それを評価したものを報告するものが多いと指摘した。もちろん、研究者としてフィールドにはいって研究される研究者も少なくないが、システムや教材開発の評価をする際、それが高等教育の学生を対象とするのであれば、自分の授業で活用するのが研究しやすい(自分もそうである)。そのため、研究で求められる客観性を今後どのように考えていくかが課題となるであろう。また、研究者として(実践者とは別に)フィールドにはいって場合でも、実験研究ではなく、介入研究、すなわち、研究対象となる教師も研究を一緒にする当事者であるというスタンスの研究も最近は多い。近年の研究はこのような流れになってきている(そういうニーズもある)ため、これまで研究成果の基準となっていた妥当性と信頼性という基準を、教育工学においてどのように見直すかも課題となると思った。 (3)システムと実践の両方を取り扱うための研究方法のポイントは? これは、まとめ役の東京大学山内先生からの登壇者への質問である。私自身、これについては、考えてきたし、自分なりの意見がある。たしかに、システムを評価するだけではなく、システムを使った場面、つまり実践の中でのシステムの評価は必要だと思う。その方法として、登壇者からは「質的な研究が必要である」という意見があったが、質的な研究にもパラダイムがあるため、一概に「質的研究との組み合わせがいい」とはいえない。実証主義的アプローチか解釈学的アプローチかによって、得るデータ、分析の仕方、考察の結果でてくる知見は異なる。山内先生は、システムだけではなく、そのシステムが活用される文脈、たとえば、個人の認知プロセス、社会的インタラクション、社会構造なども含めて考察していくことが必要とあり、そのためには方法論のマイクロパッケージが求められるとあるとまとめられていた。たしかに、社会構造や社会的インタラクションを含めた研究を実施するとなると、システムの評価のためにかなりの労力と時間がかかってしまう。ある程度パッケージ化するようなことも必要だと思うが、結局グラウンディッドセオリーの多くの研究でみられるように方法論だけに頼ってしまうようなことが起きるかもしれない。今後、教育工学がどういう研究方法論を受け入れていくかが、楽しみだ。 詳細はコチラ http://www.jset.gr.jp/sympo/sympo_2010.html]]>
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