編集まえがき
ようこそ、しくじりABR特集へ
ABRをやってみようとすると、最初に出てくるのは、たいてい「活動」です。
写真を選ぶ。絵を描く。カードを使う。語り合う。身体を動かす。作品を見せ合う。
どれもABRにとって大切な入り口です。けれども、アート的な活動をしたからといって、それがそのままリサーチになるわけではありません。
——こうした経験にも意味はあります。けれども、社会科学としてABRに取り組むなら、そこで終わるわけにはいきません。
個人の経験を語ったあとに、何が見えてくるのか。
その語りの背後に、どんな社会の価値観や前提があるのか。
誰が語りやすく、誰が語りにくいのか。
何が表現され、何が表現されなかったのか。
その場で生まれた沈黙、戸惑い、笑い、違和感は、何を示しているのか。
ABRをリサーチにするためには、活動の中で起きた出来事を、もう一度問いとして読み直す必要があります。
この特集では、ゼミで生まれた「しくじりABR実践」を取り上げます。 ここでいう「しくじり」とは、誰かを責めるための言葉ではありません。 うまくいかなかった実践、どこか物足りなかった実践、途中で止まってしまった実践、思ったような対話にならなかった実践——そうした出来事の中にこそ、ABRを学ぶための大切な手がかりがあります。
- なぜ、その実践はリサーチとして弱かったのか。
- 何が「ただの活動」で終わってしまったのか。
- 本当は、そこにどんな問いが眠っていたのか。
- どのように設計し直せば、社会や人間関係を理解するための実践になったのか。
たとえば、個人の経験を語って終わってしまう実践があります。 「みんないろいろあるね」という気づきは生まれるかもしれません。しかし、社会科学のABRとしては、もう一歩先に進む必要があります。 なぜその経験が生まれたのか。その経験は、どのような社会的な期待、関係性、文化的な前提とつながっているのか。そこまで問いを広げることで、個人の語りは社会を読む入口になります。
また、扱いたい問題はとても切実なのに、ワークの設計がその問題に届いていない実践もあります。 本当は「他者から一方的に解釈されること」や「善意の決めつけ」を扱いたかったのに、実際には「相手の意図を当てるゲーム」になってしまうことがあります。 テーマが重要であっても、それをどのような経験として参加者に開くのか、どのような問いとして観察するのかが設計されていないと、ABRとしては届かなくなってしまいます。
ABRでは、失敗もデータになります。
つまらなさもデータになります。
モヤモヤもデータになります。
沈黙も、ズレも、戸惑いも、場の停止も、すべて問いの入口になります。
ただし、それらは自動的にデータになるわけではありません。
大切なのは、そこで立ち止まり、「何が起きていたのか」を考えることです。
- なぜ、つまらなかったのか。
- なぜ、問いが立ち上がらなかったのか。
- なぜ、参加者は語れなかったのか。
- なぜ、意図した経験とは違うことが起きたのか。
- なぜ、その場で違和感を言葉にできなかったのか。
この特集は、完成された成功事例集ではありません。むしろ、まだ途中の実践、うまくいかなかった実践、惜しかった実践を集めたものです。だからこそ、ここにはABRを学ぶためのリアルな手がかりがあります。
しくじりを笑って終わらせるのではなく、責めて終わらせるのでもなく、その中にある問いの芽を見つけること。
活動がリサーチになる瞬間を見極めること。
個人の語りを、社会や人間関係を理解する問いへと開いていくこと。
それが、この「しくじりABR特集」の目的です。
「これは、ただの活動で終わっていないか」
「この実践は、何を問うているのか」
「個人の経験から、どんな社会が見えてくるのか」
「このしくじりから、次に何を設計し直せるのか」
そんな問いを持ちながら、ひとつひとつの事例を読んでみてください。
しくじりの中に、ABRの入口があります。