「実験」とは何か:科学・社会・芸術から考える
東京大学出版会
Fukushima, M. (2025). What is an "experiment"? Thinking from science, society, and arts. Tokyo: University of Tokyo Press.
1. 福島真人(2025)が問うこと
「実験」という言葉は、ふつう科学の文脈で使われる。仮説を立て、条件を統制し、結果を測定する——そういった手続きのことだ。 しかし福島(2025)は、この「実験」という概念をより広く、より根本的に問い直す。
科学における実験だけでなく、社会における「試み」や「介入」、芸術における「実験的な表現」——これらすべてに共通する構造は何か。 そして、なぜ人は「試してみる」という行為を通じて世界を理解しようとするのか。
福島は「実験」を単なる科学的手続きとしてではなく、「世界への問いかけの形式」として捉える。 実験するとは、「もし〜ならば、どうなるか」を問いながら、世界に働きかけることだ。 その「働きかけ」の中に、予想外の出来事——しくじりが生まれる場所がある。
2. 「実験」の3つの次元——科学・社会・芸術
福島(2025)は、「実験」を科学・社会・芸術という三つの次元から検討する。 この三つは、ABRという実践が立ち位置を定めるうえでも、きわめて重要な枠組みになる。
仮説・統制・測定・再現性。「わかること」を厳密に絞り込む手続き。
制度・政策・介入・実践。社会そのものを「試してみる」試み。結果が一意に決まらない。
表現・素材・身体・感覚。「作ること」と「問うこと」が分かちがたく結びついている。
ABRは、この三つの次元が交差する場所に位置する。 アートの手法(芸術)を使いながら、社会や人間関係を問い(社会)、それをリサーチとして成立させようとする(科学)。 だからこそ、ABRには独自の困難と豊かさがある。
3. しくじりが「実験」のデータになる理由
科学的な実験では、仮説が外れたとき、それは「失敗」ではない。むしろ「世界が仮説通りではなかった」というデータだ。 予想外の結果こそが、次の問いを生む。
これはABRにも当てはまる。しかし、ABRの実践では、この「予想外の出来事」が「失敗」として処理されてしまいがちだ。 なぜか。それは、「何を問うていたのか」が明確でなかったから、予想外の出来事を「データ」として受け取る枠組みがなかったからだ。
- その実践は、「世界への問いかけ」として設計されていたか?
- 参加者の反応(しくじりを含む)は、「データ」として事前に想定されていたか?
- 「予想外の出来事」が起きたとき、それを問いに変える枠組みがあったか?
- 「活動」と「実験(問いかけ)」の違いは、何によって生まれるのか?
4. ABRを「実験」として設計するとは
福島(2025)の「実験」概念を手がかりにすると、ABRをリサーチとして設計することの意味が、より具体的に見えてくる。
- 「もし〜ならば、参加者はどう反応するか」という問いを事前に持つ
- 参加者の反応(予想通り・予想外の両方)を「観察対象」として設計する
- 「活動の楽しさ」と「リサーチの問い」を分けて設計する
- うまくいかなかった出来事を「失敗」ではなく「問いの素材」として扱う
- 実践の後に「何が起きたか」を問い直す時間をリサーチとして位置づける
- しくじりを「次の設計への問い」に変換する
5. 科学・社会・芸術の交差点としてのABR
福島(2025)の議論が示唆するのは、「実験」という概念が科学だけに属するものではないということだ。 社会における試みも、芸術における実験的な表現も、すべて「世界に問いかける」という行為の形式を持っている。
ABRはこの三つが交わる場所にある。だからこそ、ABRには科学的な厳密さ・社会への感度・芸術的な開かれという、三つの次元が要求される。 どれかひとつに偏ると、バランスが崩れる。
多くのABRのしくじりは、この三つの次元のバランスが崩れたときに生まれる。 芸術的な活動にのみ集中して「問い」を忘れる(芸術に偏る)。 社会的な問題意識が強すぎて、参加者の体験の設計が粗くなる(社会に偏る)。 リサーチとしての厳密さを求めすぎて、アートの開かれた可能性が失われる(科学に偏る)。 それぞれのしくじりには、それぞれの「傾き」がある。
6. この特集を読むための地図
以上を踏まえて、この特集の各記事を読む際の地図を提示しておく。 各記事のしくじりは、それぞれ異なる「傾き」や「ズレ」を持っている。 それをどのように読み直し、問いに変えるかが、この特集全体のテーマだ。
個人の語りで終わる——「芸術に偏る」しくじりの典型。社会への問いへの接続が弱い。
意図とズレた体験——「設計」と「問い」の不一致。活動はあったが、実験として機能しなかった。
沈黙をデータにする——予想外の出来事を「失敗」ではなく問いの素材として読む試み。
笑いの意味——社会的・関係的な文脈の中で、笑いという出来事を問いとして読む。
作ることが目的に——芸術的な活動の豊かさと、リサーチとしての問いのバランスを問う。
善意の閉塞——ファシリテーターの関与が場の可能性を狭めるとき、そこに何があるか。
分析で止まる——データは集めたが、そこから問いを立てる段階でリサーチが止まった。
やり直すこと——実験の反復・再設計こそがABRの核心だという視点から特集を総括する。
ABRも、その問いかけの方法のひとつだ。
しくじりは「実験の失敗」ではない。
しくじりは「世界が問いに答えた方法」だ。
その答えを読み解くことが、ABRをリサーチにする。
この特集が、そのための手がかりになることを願っている。
参考文献
福島真人(2025)『「実験」とは何か:科学・社会・芸術から考える』東京大学出版会。