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7/16-24 原稿執筆

16日を過ぎてから今日を含み、論文および本の原稿執筆に忙しい毎日を送った。現在、かなり多くの共同研究を行っている。そのアウトプットがほとんど日本教育工学会とICoMEだったので、原稿をまとめるのがかなり大変、、、。まぁ、共同研究者も同じ領域の学会で発表されるので、予測できたことなのだが、、。工学会で4本、ICoMEで4本発表する予定です。

21日(木)は釜山外国語大学のI 先生と日韓交流学習を事例とした研究論文について議論し、考察をまとめた。私が共同研究を何よりも大事にするのは、論文を執筆する過程で共に学べるからだ。自分が貢献できることがある、自分も共同研究者から学ぶことがある。もっともっといいものを提供できるようにがんばろうとモチベーションもあがる。共同研究は、とても良い相乗効果を生むため、これからも、いろんな分野の方とこれからも共同研究をしていきたい。

23日(土)は箕浦先生の研究会に参加した。質的研究手法による研究方法に関する情報収集および分析の枠組みとして文化心理学者Valsinerの理論を活用するため、彼の著書について議論した。具体的には、A先生、M先生、箕浦先生によるインドネシア人看護士の海外(日本)における学びに関する研究発表を聴講し、異文化に参入した人々の学びが制度や支援体制などマクロな要因とどれほど関連、影響があるかについて議論した。本科研では、学生の海外フィールドワークを事前、実施中、事後の3つの段階においてどのように支援するかについて調査している。マクロとミクロな関係を考慮しながらいかに支援をデザインするかについての知見を得ることができた。また、文化心理学者Valsinerの著書「Culture in Minds and Societies」を輪読し、マクロおよびミクロな要因を分析するための枠組みについて議論した。9月に引き続き議論を行う予定である。

24日(日)は神奈川大学付属高等学校のK先生と研究打ち合わせ。1日がかりのディスカッションでしたが、課題研究に提出する原稿を仕上げる事ができた。土曜日がハードスケジュールでほとんど寝れなかったけれど、日曜日は頭が冴えていたのでなかなかよくまとまった。

 

7/15(Fri) Oxford大学のRoger教授(文化人類学)とのディスカッション

今日は、Oxford大学のRoger先生(文化人類学専門)と高等教育についてディスカッションをした。Rogers先生は、日本の高等教育について研究されており、特に、lower levelの大学がどのようなアプローチで生き残ろうとしているのか、今の日本の学生のニーズに大学がどう対応しているのか、といった研究をされている。私も少なからず高等教育に関心があるので、Roger先生とのディスカッションはとても興味深かった。

特に関心をもったのは、大学の位置づけと目的についてだ。大学を社会で役立つ力を育てる場として捉えるのか、Theoriticalなこと、つまり学問的なことを学ぶ場として捉えるのかによって、大学での学習内容や活動は違う。日本では、経済産業省の社会人基礎力に代表されるように、大学で、学生が社会にでてから役立つ力を身につけさせようという取り組みがある。そのひとつが、アクティブラーニング敬体の授業方法であったり、サービスラーニングといった取り組みである。一方、大学は、学問をするところであるから、研究をさせるべきだという意見もある。Oxford大学では、教育も大事にしているが、研究の質をあげていくために研究にかなり力を入れている。そのため、形成的評価が徹底され、タームレポートは3人の先生(しかも授業を担当している先生以外の3人の先生)によって評価される。レポートの評価は、テーマについての理解、テーマをどう実際に活用(Apply)できているか、であり、学生は学問に精通し、研究する力をのばすことができる。日本は、イギリスと比べるとかなり閉鎖的な教育方法をとる。担当教員が試験をつくり、採点し、その結果を大学に報告する。授業内容、試験内容、採点結果について他者が口出しすることはほとんどない。一方、イギリスでは、担当教員以外の教員が採点するため、学生の成績だけではなく、授業担当者の授業方法や内容についても評価されるのである。こういうプレッシャーがあることがOxfordd大学は研究の質を常にbestに保てるのだと思った。その他、かなり多岐にわたるテーマについてディスカッションし、日本の高等教育を客観的に振り返るいい機会になった。

7/11(Mon)-14(Thu) 実践研究+論文指導+論文執筆

今週も、E先生とルーブリックを活用した学生の自律的な学習支援についての実践研究の準備、実践、データ分析をした。私の授業をフィールドとしているので、E先生に私の授業にTTとして入っていただき、私が授業を進める一方で、E先生に自己評価と教員評価を照らしあわせてひとりひとりにフィードバックしながらレポートを返却してもらった。こういった取り組みが学生の自律的学習を支援するのであれば、FDへの貢献になる。成果だけではなく、課題もしっかり明らかにし、どういうことに注意してこういう授業実践ができるかについて整理しておく必要がある。

水曜日は、インドのフィールドワークに行く学生とランチミーティングをしながら、現地での具体内容について話し合った。とてもやる気がある学生なので、私もわくわくする。私の指導教官がそうであるように、10年後もずっとこの学生たちと関係が続き、中には一緒に仕事をしたりできる学生がでてくるかもしれない。そう思うと楽しみで仕方がない。学生というより、むしろ将来のパートナーとして一緒に取り組んでいきたい。

水曜日は、現在投稿中の論文の修正を、木曜日は学生の論文指導をおこなった。今日提出の原稿がまだできていないので、かなり気持ちは焦るが、時間は限られているので、できる範囲で進めていくしかない。質を下げずかなり早いスピードで仕事をこなせるようになったが、まだまだスピードアップしていかないと間に合わない。そんな状況なのに、後期は、外大の授業と関西大学の授業に加えて、大阪の他の大学で教育メディア論の授業を担当することになった。学芸員免許取得のための授業である。講義は私自身とても楽しんで取り組めるので楽しみであるが、いろんなことを両立してできるようにパフォーマンスをあげてく必要がある。

今日は夕方7時半からWEB2.0の研究会がある。そのための発表資料も準備しなくてはいけない。

7/8,10 論文執筆+科研会議

7月は教育工学会、ICOMEの原稿が締め切りなので週末は、出身の大学院に行って論文を進めた。ある程度まとまったがロジックが通らないため、すべて書き直し。それを何度も繰り返しているが、なかなかまとまらない。

10日の午後は、久保田科研のテレビ会議。今回は、oovooというテレビ会議システムを使った。これまでスカイプを利用していたが、ピアのコミュニケーションが良いが多地点会議では料金が発生するため、多地点の場合は、これからoovooを利用しようと思う。音声も画像もきれいだったため、利用価値がある。

科研会議で聞いた日本福祉大学の実践はすごい。大学全体として取り組んでいるため、目標、実践、評価が一貫し、かなり充実した学習活動が提供できている。私も類似した実践をしているが、授業外活動であるため、学生のinvolvementを強制できない。こういった体験型の学習はやればやるほど、わかればわかるほど楽しくなるが、そこに至るまでは努力が必要で、途中で投げ出してしまう学生も少なくない。カリキュラムの一貫と実施できれば、最初の大変なプロセス(意味付けができるまで、ある程度活動に必要な知識技術を習得するまで)で、授業だからという強制力でドロップアウトを防ぐことができる(のではないだろうか)。

一方、カリキュラムに位置づけられなくても一生懸命、授業外活動に関わる学生もいる。何が動機付けになっているんだろう?学生がそうやって授業外活動に積極的に参与していく要因はなんだろうか?いろいろな事例を比較することで、疑問がわくし、おそらくこれが研究テーマとなっていくのだろうと思う。

7/7 国際交流基金、高等学校との連携

午前中は、インドでのフィールドワーク関連の仕事を進めた。問題は山積みなのでひとつひとつ解決していくしかない。

午後は、現在執筆中の論文の校正のため、フィールドを提供してくださった高等学校のY先生にインタビューに出かけた。その後、Y先生も一緒に、国際交流基金のSさんとミーティング。紛争地などで生活している人たちとの交流学習について計画をたてる。

海外の交流学習の多くは欧米やオーストラリア、韓国、中国(特に台湾)といった国が多い。それは情報インフラや言語の問題などから、交流できる国が限られているからであるが、今では決して出会うことのない紛争地に生きる人たちとも交流することができる。そういった地域の住む人たちとの交流は、両者にとってとてもベネフィットがあるが、それを実現させるためには様々な阻害要因があるため、容易ではない。国際交流基金のSさんは、ガザの生徒と日本の生徒の交流を進めているが、なかなかうまくいかないということで相談にのった。具体案がでてきたため、Y先生の高校とガザの高校生の交流を実現できるかもしれない。そうなった場合、私も関わり、新しい形の(従来のような先進国との交流ではない)交流学習のモデルを提案していきたい。

★ガザの生徒にとって他国と交流する意義★

Sさんと話をしていて、共感し、関心をもったことがある。それは、彼が考えるガザの生徒にとって他国と交流する意義である。ガザの生徒は、移動や情報を制限された環境で生活している。そのため、自分の居場所が抑圧された不安定な場所にしかみつけることができない。「自分は何者か」と考えた時、抑圧され、不安定で、未来が見えず、希望が持てない自分しかイメージできないことは、子どもにとって何とも辛い事である。結果、自分の可能性や力を見出せるかもしれないグループに入ってしまう。それが過激テログロープだったりする。そのグループの中では、人に必要とされる。自分は何かできるかもしれない、と思えたほうが、自分は何もできない、何もない、と思うよりもずっと安心、安定していられる。そんな社会状況の中で育った生徒たちに、自分の居場所を別に作れれば、過激テログループに入ってしまうことを防げるかもしれない。そういった居場所を作る方法のひとつが、他国との交流だとSさんは考えている。交流を通して、新しい視点、価値観、考え方、感じ方、友人、楽しみ、可能性、そして、居場所を見出せれば、ガザという自由を奪われた場所でも、行きていけるのではないか、と。

私自身も自爆テロについてのドキュメントをみたり、その取材をしているジャーナリストに直接話を聞いたことがある。この複雑な問題を解決するためには、社会を変えていくしかない。社会を変えるためには、新しい情報がそこに入ってくることが不可欠だ。パレスチナ難民支援をライフワークとしている私としては、このプロジェクトを全面的にバックアップしたいと思う。

7/4-6 自律的な学習支援のためのルーブリックを活用した実践研究

今週は、関西大学のE先生と学生の自律的な学習を支援するためのルーブリックの活用についての実践研究を行った。

グループプレゼンで、ルーブリックを教員と学生で共同で作り、到達目標を共有してから学習活動を実施するということを試みた。その結果、学生からは「自分自身で優秀到達基準を決めることで、最初から基準が決めてある時よりも、目標が明確になってそれに向かって頑張ろうと思うことができました」、「ルーブリックがあることによって、聞き手側としてもどのような基準で評価すれがいいのか明確で、わかりやすかったです。パワーポイントなどを作る側としても、どれくらいのものを目標として作ればいいのかわかりやすかったです!」、「ルーブリックがあることによって、的確になにをすればいいか意識してできました。それにみんながどんなことで評価することが分かって、先生だけが評価するのではなくみんなが評価するので分かりやすく伝わりやすい言葉で表現することに、しょうてんをあてられてよっかったです」(自由記述による振り返りより)といった意見が多くみられた。

文章構成についても同様にルーブリックを作り、学生のレポートの質についても検討したいと思っている。初年次のようにアウトカムが知識や技術だけではなく授業において、学生のパフォーマンスをどのように評価すべきかは、アカデミアでも議論されている点である。この領域において貢献できればいいな、と思う。

7/3 論文指導

今日は、後輩(院生)の論文指導。自分で書き直せれば、すぐに修正できるのだけれど、決してそれをしてはいけない。問いかけることを通して、本人に気づいてもらわなければ、いつまでたっても自立できない。私がかつて指導教官にしてもらったように、私も忍耐強く後輩の論文指導をしたい。

論文指導というのは本当に難しい。私の言う通りにすればそれが論文になるとは限らない。研究として論文をまとめる場合、先行研究やデータを何度も交互にみて、はじめて「Somesthing unique」が見えてくる。それが見えるようになるには、私自身まだまだ経験が必要。その私が、院生の論文をみて指導するのだから、私も必死だ。彼らが参考にしている文献に目を通し、常に私自身に問いかけ、考えていく。そのため、前回言ったことと違ってしまうこともあるが、指導される側からみれば、「ぶれている」ように見える。結果、混乱させてしまう。自分の研究だけやってればいいのではなく、できるだけ多くの研究に関わりながら、どの論文にでもコメント、指導できるように日々精進しなければならない。

7/2 「中東の激動を考える」シンポジウムに参加

今日は、「中東の激動を考える」というシンポジウムに参加した。過去8年間、シリアでフィールドワークをしてきたので、現地の状況がかなり気になる。facebook等を通して友人から状況を教えてもらっているが、アカデミアではこの動きをどう捉えているのかを知りたくて参加した。如何、私が学んだこと、感じたことをつらつらまとめる。

【中東の激動は何故?】
中東の激動は、世代交代のための革命であるということができる。チュニジアのジャスミン革命の中心は平均29歳、エジプトは23?歳。中東では出生率が高いため、若年人口がかなり多い。彼らが成人すると、雇用の創出が必要となる。ところが、雇用の枠が少なく多くの人が失業状態とある。結果、貧富の差の広がりなどの社会問題がおこる。従来、イスラム教には相互扶助があり、富が国民に回っていないと草の根の助け合いがおこる。これまでの人はそうやってその状況を乗り越えてきたが、若い人がその状況を許せないと感じている。失業率の問題だけではなく、職のミスマッチも若者の大きなフラストレーションのひとつ。たとえば、工学を勉強した学生が、野菜を売っている。失業していないからという理由で、失業率に数えられていないが、一生懸命勉強したことが役立たないということが、若者のフラストレーションとなっている。私の友人ユーセフも以前私に言った。「まこは日本人だからがんばればがんばるほど未来が開けるが、ここではがんばっても、やりたい職を得られない。未来を描けない」といっていた。彼はエンジニアを専門としていて、英語もぺらぺらだったが、インターネットカフェのアシスタントのアルバイトを仕事にしていた。

【インターネットと革命について】
中東でSNSが盛り上がった理由は、正しい情報の渇望からである。「政府からの情報は信じられない!!」という政府への不信感が高まった。中東ではインターネットの情報も検閲されているし、政府批判などの情報を発信すると逮捕される。本当のことが知りたい、というニーズが高まっていった。インターネットの情報は、公共番組(テレビやラジオ)のように検閲しきれないところがある。多くの人が情報発信に参加しているため、多くの人がインターネットから情報を集めている。
しかし、中東ではパソコンによるインターネットの活用率は低い。なぜ、そういう情報が人々に入ってくるかというと、携帯電話である。固定電話の設置が高額で手間なのに対して、携帯電話は簡単に手に入る。携帯普及率が一番低いイエメンでも40%である。人々は、携帯電話を使ってインターネットにアクセスしている。他国ではだいたい1人一台ともいわれている。携帯電話には、写真や動画が撮影できる機能があり、さらにインターネットに接続えきるため、情報発信や情報収集が一般の人でもできるようになった。
インターネットを使って人々がみているのはfacebookである。中東では、facebookの利用率が非常に高い。チュニジア18%、エジプト8%、シリアは10%台という数だ。インターネットを使っている人のほとんどがはfacebookをつかっている。
このような中、あの事件がチュニジアでおこった。「ターリク・タイイブ(露天商の若者)が警察の取り締まり(殴った)に抗議して焼身自殺をはかる」という事件である。これがそもそものはじまりであった。これに対応した抗議デモが全国ではじまる。それを撮影した複数の人がアップし、広がっていった。
そもそも、女性警察官が 露天商の若者を殴ったというのが事実かどうかは分からない。ただ言えるのは、噓か本当かわからない情報が、その国の大統領を失脚させる力になったことということである。
インターネットによる情報は人々の考えや行動に影響を与える。革命側だけではなく、政府側もまたインターネットを通じて情報を流していく。そして、どのような情報が、人々の考えと行動に影響を与えるかが計算されていた。たとえば、デモのほとんどは、象徴的な場所で行われていた。これは、多くの人を巻き込むため(多くの人が参加できるように)と考えられる。他の事例として、エジプトの抗議デモにらくだの参入した映像もそれにあたる。政府側も革命側も、ネットを使って戦っていた。ネット上で意見を戦わせ、それぞれがそれぞれの立場から動画や情報をアップして、仲間を集めていた。
しかし、ネットに情報を載せているのは本当に現地の人なのだろうか?という疑問が生じる。実際、インターネットにアクセスできる人は限られているし、特にデモが始まってから制限もされている。シリアの「革命」と「反革命」のfacebook上での議論を例にとって考えてみよう。シリア革命2011というfacebookのコミュニティがある。そこで、議論している人たちのほとんどがシリアに住んでいない。アメリカや欧米に移民したシリア人である。彼らは、現地の情報を知り合いとの電話やメールのやりとりから得て、それを増幅させて発信していたのである。現地からの情報は、事実かどうかは誰も確認することができない。国外に出るプロセスにおいてどういう解釈が加わったかもわからない。実態の一部を表しているかもしれないが、それが多数派の意見を象徴するものでは決してない。声が大きい人が多数派の人であるとは限らない。しかし、ネット上で声を大きくして情報発信していると、それが多数派のように見えてしまうことがある。そして、それが国の大統領の失脚につながるのである。

【中東でのムーブメントのその後】
シリアを含み、この動きは未だ続いているが、中東全域で共通して見られることは、政府がfacebookなどを通して国民とインタラクションをとるようになったことである。これまでは、国民の意見を一切きかず政策が進められてきたが、国民の質問や抗議に対してすぐに答えるといったことがされるようになってきた。つまり世論に敏感な政府ができてきたということができる。この流れが、中東の人々にとって良い方に向かうのか、悪い方に向かうかは分からないが、価値観が変わる時代にはこういった革命が起こる。日本もそうであった。今後引き続き、アラブの状況から目を離せない。

(長くなったので、続きはまた今度)

詳細はコチラ↓↓↓

http://www.nihu.jp/events/2011/06/15/symposium/

6/29-30 学会発表のための原稿執筆

7月中に、教育工学会、国際学会ICOME、日本メディア学会の発表原稿を提出しなければならない。6月は教育活動について、かなりの時間を使ったが(ほんとど研究活動はできなかった)、7月は研究のためにかなりの時間を使わなければいけない。教育工学会では連名を入れて4本(Web2.0関係2本、Japaii関係1本、遠隔教育関係1本)、ICOMEでも4本(日韓交流関係1本、VL関係1本、ルーブリック関係1本、Japaii関係1本)、日本メディア学会では1本(映像制作と異文化理解関係)発表を予定している。すでに準備が終わった原稿もあるけれど、まだ、ロジックがうまくまとまらないものもある。また、そろそろ異文化間教育学会に投稿している投稿論文の返事がくるころなので、それもやらないと、、、。とりあえず、今までまとめてきたものをいったん文章に整理していく。