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8月31日 研修2日目

昨日の研修は非常にスムーズにいったと思ったが、今日の研修は、「準備不足」のため、30分以上も時間を無駄にした。シンキング・ツールを使った考える授業デザインに関するセッションで、事例ビデオを再生しようとした時である。ビデオが再生できない。5分以上たっても再生できないのをみて、手助けしようと思ったが、カウンターパートの問題解決力と即戦力を鍛えるためにも失敗は必要だと思い、しばらく様子をみていた。15分以上たっても対応できないのをみて、手助けすることにした。

ビデオが再生できなかった理由は、コンピュータウィルスだった。利用していたノートパソコンに25を超えるウィルス。さらには、全国の教育大学に配布する予定のDVD(これを再生した)に12のウィルスが感染していたのだ。結局、私の使用のパソコンを使って再生することになった。事前に、機材の動作確認をしておればこんなことにはらなかったのに、これは確実に準備不足である。カウンターパートも、研修をすることにある程度なれていたからか、動作確認をおろそかにしたことに問題がある。

これはミャンマー人の特性なのか、このグループの特性なのか分からないが、問題が発生した際、彼らは、「自分に責任がない」ということをアピールする。そして、問題解決に積極的に関わろうとしない。全員が中途半端な方法でしか問題解決をしようとしないので、結局問題解決方法をみつけれずに終わってしまう。「責任」への極度な不安は、一緒に活動する中でよく見せていたけれど、Shared Accountabilityがない限り、チームとしていいパフォーマンスはできないと思う。この点について気付いてもらえるようなしかけが今後必要がある。

ところで、研修中、ボゴレー教育大学の学術部長から、授業研究におけるリサーチテーマの設定について個別に質問があった。質問は、「リサーチテーマを書く際には、どのような表現方法が適切か」というものであった。今回、研修を通して、事例として配布した資料の中に「Research theme:To promote students to activly participate in the lesson and think with other studetns collaboratily」というものがあった。彼の指摘は、「この表現方法は、リサーチテーマを書く際には不適切ではないか」というものであった。確かに、リサーチテーマの書き方については、これまで指導してきたことがなかったが、指摘されてみると確かにそうだ。リサーチテーマについては、理解が難しいと参加者からも指摘があり、改善をしてきたつもりだが、まだ不十分であったことに気付いた。まず、問題は、「Research theme」という単語である。この言葉は、日本の授業研究を紹介している論文をもとにしたが、こちらの教員に分かりやすいように「Research question」としたほうがよかった。Questionにすることで、何を議論するべきかについて明確なイメージを持つことができるからである。

Questionの立て方には、大きくわけて2つある。仮説を検証するための質(Deduction)、実際の授業の中から問題の要因を追及する(induction)がある。どちらの質問も、CorrectかWrongの二者択一答えることができるClose な質問ではなく、Open-end questionである必要がある。Deductionな質問の場合、結果がどちらにせよ、何故そうなのか、その要因は何か、ということを追及していく必要がある。たとえば、先の事例だとThinking tool can promote students to activly participate in the lesson and think with other students collaboratilyに置き換え、そうであれば、他の事例でどう実践できるか、について話すことができるし、そうでなければ、何故、うまくいかなかったのか、ということを追及することができる。事例から要因を追及する質問(Induction)の場合、最初からデモンストレーションの教員から問題を提示しておくことができる。たとえば、「私の授業でシンキング・ツールを使った授業をしているが、学生はなかなか考えようとしてくれない。ワークシートを配布しても何もかかない。どうしてか」といった問題を提示することができる。この問題を追及するため、デモンストレーションレッスンを公開し、他の教員の意見を聞く。リフレクションの際、考えさせるためのリソースが足りないのでは?グループ構成に問題があるのでは?発問が難しすぎるのでは?といくつかの要因を指摘し、その問題を解決する方法を出し合うことで、授業改善を図ることができる。

このように、ある程度、リサーチテーマ(Research question)のタイプを分けて、タイプごとに事例を示していくなどの工夫が必要だろう。

8月30日 研修一日目

8月30日 研修1日目

今日からミャンマー南部の8校の教育大学の教員および訓練部長に対する3日間の研修が始まる。昨夜、ヤンゴンについたばかりで、疲れがとれないまま研修が始まった。

研修は、すべてカウンターパートが中心になって進める。私はそれをモニタリングしながら、必要に応じて情報を入れたり、カウンターパートの指導方法についてフィードバックする。2年前と比べて、カウンターパートのパフォーマンスは非常に良くなった。これまでは、「口出しせずにはいられない」状況だったが、安心して研修を任せることができるようになっていた。実際、ほとんど介入することはなかった。研修に参加している先生方の様子を見ていると、非常に楽しみながら学んでいるのがわかる。言葉は分からないが、アクティビティに関わる様子をみて、うまく研修が進められていることは分かる。

今日の研修内容は、モニタリング調査をした結果、教育大学の教授法で問題となっていたことに関するものである。その問題とは、「学生への動機づけ」「学生に考えさせるための授業設計」「学生同士のインタラクション」「アクティビティのデザインと評価」「ファシリテーション」である。これらの問題に取り組むために、本研修がデザインされている。教員自身が、自分の授業の問題点を認識できていない(現状の授業に満足している、もしくは、問題と認識していない)ところに一番の技術移転の問題があるのだが、事例を見せたり、議論をしていく中で、気付いてもらえるような研修内容になっている。新しいことを詰め込もうとすると、受け入れてもらえない。これが「大人の学習」なのである。

おとなの学び方は子どもの学び方とは違う。子どもを教えるための科学と技術は「ペダゴジー(Pedagogy)」と呼ばれ、それに対し、大人の学習を援助する技術と科学は「アンドラゴジー(Andragogy)」と呼ばれる。おとなの学習は、成人学習に関する分野で研究されており、「P-MARGE」という特徴があるといわれている。「P-MARGE」とは、

P Learner are Practical
M Learner needs Motivation
A Learner are Autonomous.
R Learnder needs Relevancy.
G Learner are Goal-oriented.
E Learner has life Experience.

研修の内容が自分たちとは関係がない(Relevancy)または、実際に授業で使えない(Practical)と思われると、学んでもらえないが、これは役に立つ!と思えば、自分の問題意識を解決するために(goal -oriented)、より高い意欲(Motivation)で、自律的に(Autonomous)に学ぶのである。また、教員は、すでに教員としての経験があるので、新しい内容についても、役に立つと思えば、自分の経験と合わせながら理解を深めていくことができる。一方、この経験が、新しい内容についての学習を阻害することもある。実際、ミャンマーの教員は、「暗記されること=学習が成功する」と考える教員が少なくないからである。われわれが研修で扱っている内容は、効果効率的に暗記させる方法ではなく、学生が如何に考え自分のセオリーを作り出すような学習を支援するか、であるため、この学習観に共感できない教員は、新しい内容を実用的でなく、自分とは関係ないと思い、学んでくれないだろう。このような「成人の学習の特徴」を考慮して研修をデザインする必要があり、この研修の成果は我々のデザインへの評価にもなる。さて、その結果は・・・。

2回目のミャンマー出張

今日(8月29日)から、来月6日までの1週間、またミャンマー出張である。今回は、ミャンマー南部の9校の教育大学の教員に対する研修の実施である。今日到着して、明日から3日間、研修がある。この研修については、ほとんど準備が終わっているので、あまり心配することはないと思うが、研修のクォリティを維持するためにもしっかりモニタリングをする必要がある。

研修が終わってからは、考える授業のモデル授業として、今月、教員やカウンターパートと議論しつづけてきた生物、歴史、英語の授業の撮影をする。去年は、撮影中に脱水症になったので、今回は、体調をしっかり整えてから撮影にはいりたい。

また、今回は箕浦先生文献ゼミでいただいた研究課題があるのでそのデータも集める必要がある。短い期間にやることが多いが、目標をもって関わると、関わり方も、見え方も変わってくるので頑張れる。

【KUFS】映像編集の指導

数ヶ月前から支援してきたH先生ゼミの映像編集もほとんど終盤である。本日、中国語とイタリア語の番組が”ほぼ”終了。はじめは、プレミアの使い方が全然わからなかった学生も、なんとか自分たちで問題解決して、編集できるようになっていた。完成が楽しみだ。完成した番組は、YOUTUBEにアップされる予定。広島への原爆をテーマにしたものなので、国内だけではなく、海外の人にとっても関心をもって視聴されることだろう。非常に楽しみだ。

8月25日箕浦先生文献研究会に参加

御茶ノ水大学名誉教授・箕浦先生が月に一度開催している研究会に参加した。箕浦先生とは、シリアでのフィールド調査で大変お世話になり、その後も研究方法について指導をしていただいた。研究会に参加されているのは、箕浦先生が、東京大学および御茶ノ水大学で教鞭をとられていたときの学生で、今は、それぞれの分野(異文化理解、異文化コミュニケーション、言語学、教育工学など)の最前線の研究をされている大学教員である。今回、議論したのは、JAAN VALSINEERのCulture in Minds and Societies: Foundations of Cultural Psychology の1章および2章である。1章については今手元に資料がないので、とりあえず2章についてだけ、議論した内容を整理しておく。

2章(Society and Community: Interdependence of Social Webs)では、次の3つの点について議論した。

(1)社会構造が、社会的規範(Social norm)との関連でどのように分化されていくか(図2.5)

Articulated communities that are still Mutually Interweavingの場合、そこにはさまざまな価値観や考え方が入り混じっているが、何かしらの機会(分岐点)のより、それが分化されていく。分化する際には、どのグループがメジャーになるか(またはマイナーになるか)、さらに、Quasi-autonomous(区別された自立的なグループ)ができる。それぞれのグループの社会的立場は、そのときの社会規範や社会的意義によって変わる。この図を、「育児をする男性」を事例に理解を試みた。このように事例に当てはめてモデルを検討することでモデルの意義や限界を知ることができる。

(2)秘密と公開性による社会規範(図2.6)

秘密は公開性を伴う。何かを隠すことによって意味を創出したり、ある文脈において何か価値を付与することで、そのコミュニティの社会規範が作られる。秘密にすることで「それを知っている人」「知らない人」の間に境界が作られる。つまり創作者の権限を作り出すことができる。秘密をAとすると、Aへのアクセスと社会的権力の関係が生まれる。この境界は、常に再組織化されるものであるし、また日常生活においてもよく見られる現象である。社会規範をこの観点からみるのもおもしろい。たとえば、本論で取り上げられていたモルモン教の一夫多妻制を事例に考えてみる。昔は、一夫多妻が当然の文化として受け止められていたときは秘密にする必要がなかったが、米国の法律で禁止され、一夫一妻の文化になると、一夫多妻であることは「秘密」にされる。そのため、「父親が誰かを口外してはならない」といわれる。その秘密を知っている人は、モルモン教の伝統的なルールを守っているグループであり、知らない人は、新しいルールを遵守している人たちであり、そこに境界ができるのである。これは、政府の方針や制度によって変化していく。

(3)意味を創出する場(図2.8)

これまで、異文化コミュニケーションの領域において「自己開示」の研究は、個人の問題として捉えられてきた。「ジョバリの窓」でも知られているように、自己開示は、「自分をどのように公開し、隠蔽するか、コミュニケーションにおける自己の公開とコミュニケーションの円滑な勧め方を考えるために提案されたモデル(Wikipedia)」に基づいて捉えられてきた。しかしVALSINERのモデルでは、自己開示ができるか、できないかは、個人の特性として考えるのではなく、場との関係にあることが示されている。その場に誰がいるのか、何が議題かという状況によって、意見できる人(自己開示できる人)できない人がでてくる。その場には、”Taboo” of talking, promoted taking, zone of possibly talkingがある。たとえば、zone of possibly talkingは、あたることが必要とされるような特別な目的がない限り、普通は語られない。そのバランスは状況によって異なる。何故、話すのかということを考える際には、「ジョバリの窓」のように個人の能力や資質から捉えるのではなく、その条件を明らかにしていく必要がある。同じ言説であっても、誰がいうのか、誰に言うのか、といった状況によって、語られるかどうか、語り方がかわる。実際、ミャンマーで推進している授業研究においても、議論に参加する人、参加できない人、時々参加する人によってわかれる。これまでの調査では、議題についていけないことが、議論に参加できない人の理由だととらえてきたが、このモデルを元に考えることで、新しい見方ができるかもしれない。このモデルをもとに論文を書いてみよう。

8月24日 東京へ出張

今日から1泊2日で東京へ出張。明日は、朝からインタビューがあるので、前日に東京入りした。飛行機で移動するのは楽だ。時間が短いし、カードがあれば、簡単に手続きができるので、最近は、国内移動はほとんど飛行機だ。

午前中は、大学に来て、後期の授業準備を進めた。時間がかかりそうだ。教育メディア論で講義する内容をかなり整理しておく必要がある。新しい動向もキャッチアップしなければいけないので、雑誌や書籍も購入し、授業が始まるまでに読んでおかなくてはいけない。

ところで、今日は私の誕生日だ。年をとるのは早い。自分が描いた未来に向かって進んでいけるようにしっかり計画をたてておかなければならない。

8月23日 論文の投稿

多文化関係学会に投稿していた論文の査読の返事が来た。条件付採録ということで、一時審査はOK。この研究は、実践も研究もかなり力を入れたものなので、この研究知見を世に出すことができるのは、非常に嬉しい。査読のコメントも非常に丁寧で参考になる。これをもとに、修正作業を進める。

同時に、教育工学会に投稿していた翻訳論文の採録が決定した。これも、かなり時間をかけて書いたので、採録が決まって非常に嬉しい!このように成果が出ると、やる気もでてくる。新しい研究に着手する一方、これまでの研究をまとめて、投稿していこうと思った。

8月21日(土)帰国 

本日、日本に帰国する。モニタリング調査についてはデータ分析と考察はある程度できたので、あとはこれを論文および報告書としてまとめるだけ。国際開発学会にむけて原稿も書きたいし、その構想を練りながら帰路につく予定だ。今回のフィールド調査は、2週間だけだったが、非常に長く感じた。今回は雨期で、湿気と暑さからか、体力的に非常に疲れた。5冊も本を持ってきたのに、結局1冊も読まずに終わった。アウトプットだけじゃなくて、しっかりインプットもしておかないと・・。2回目の渡航はもう少し時間を上手に使って、読書する時間を作ろうと思う。

空港に向かう前、お菓子やお土産を買った。前期に授業や研究を手伝ってくれた学生へのお土産だ。ミャンマーにはおいしいお菓子が全然ないので、喜んでもらえるか分からないが、食べ物を通して文化を知る、ということを目的に、ミャンマーらしいお菓子やお茶を買った。

明日から出勤である。後期の授業の準備もしなければいけないし、次の渡航(8月29日)までは、かなり忙しくなりそうだ。

8月20日(金)シンキング・ツールを使った考えさせる授業の実践(ヤンキンEC、ティンガンジュンECにて)

今日は、先週開発したシンキング・ツールを使った考えさせる授業案に基づいて、生物、歴史、英語でデモンストレーションレッスンを実施した。授業案では、かなり細かいところまで話し合い、発問の仕方、学生からの返答に対する応答の仕方、メディアの使いかた、プレゼンのさせかたなどまで打ち合わせした。

生物のデモンストレーションを担当したDKCMは、CCAの経験者で、トレーナーをしていた人である。彼女の授業は、非常に生き生きとしていて、学生も楽しみながら授業に参加していた。メディアの提示の仕方、考えさせる際のファシリテーション、発問の仕方など非常に上手だった。ひとつ問題があるとすると、学生が「学習者中心の学習」に慣れていないため、いくら教師がファシリテーションしても、それを読み取り行動になかなか移せないという点である。たとえば、教師が「くらげとイソギンチャクの違いってどういうのがありますか?間違ってもいいから、写真をみて気づいたことをいいましょう」といっても、暗記暗証に慣れ親しんだ学生は「間違ってもいいから」ということが受け入れら得ない。これは、個々の教師の力量の問題ではなく、EC全体の文化に関連しているので、生徒にに積極的に学習させようとするならば、それを受け入れていくような土壌が必要になるだろう。また、学生は、グループワークやプレゼンをしても、形はグループで活動しているが、自分という枠を超えることができない。たとえば、グループで話し合った内容を摸造紙に書いて発表するという活動でも、相手意識がないため、ノートに書くくらいの小さい字で書き、発表の際も、教師に向かって説明する。他の学生に伝える、語りかける、という観点がないのである。これも、やはり、上述したように学び合いの土壌が必要になってくる。しかし、こういう授業をする授業が少しずつでも増えてくると、学生の態度も変わってくるだろう。そのためにも、EC全体でLCAに取り組んでいく必要がある。

歴史の授業は、LCAに基づいた授業を始めてやる教員である。担当したDSMは、はじめは、自分の授業を日本人に見せるのも、モデルレッスンをするのも不安で、プレディスカッションでも言われたことを聞くだけであったが、授業終了後には、LCAについての実感を持つことができ、かなり積極的に意見を述べ、議論するようになっていた。

8月19日(木)研修の前のJOB AIDの活用

IDの専門である鈴木先生(熊本大学)とトレーニングについて議論した。きっかけは、コンサル会社の伊藤さんの「保健医療関連のプロジェクト」に関する話だった。アフリカで実施された保健医療のプロジェクトにおいて、看護師に対して、予防注射についての研修を実施した。研修内容は、年齢に応じてどれくらいの量の薬剤を投与するか、といった内容である。数日間にわたる研修を実施したが、なかなか成果が上がらなかったという。そこで、方法を変えて、何歳から何歳には何グラム、という表(マトリックス)を作って、病院にはることをした。すると、看護師たちは、それをみて、適切な量の薬剤を投与するようになったという。この話は、「研修」の意味をしっかりとらえる必要性を指摘する。つまり、研修をしなくていいようなことにわざわざ時間や費用をかけて研修を実施する必要はないということである。鈴木先生の言葉を使えば、「そこにあるものでできることはまずやってみさせる」ことが第一で、その中で、「躓いているい点」があれば、それを明らかにし、研修プログラムとして、実施すべきだ、というのである。「そこにあるものでできることはまずやってみさせる」ためには、言うだけでなく、先の事例にあるようにポスターをはるなどJOB AIDを使えばいいのである。それで達成されるものが何かをしっかり見極めて上で、「やらなくてもいい研修はしない」ようにしなければいけない。確かに、人材育成をすることを考えると「研修すればいい」と容易に考えがちであるが、研修にもStrengthとweaknessがある。研修をデザインするということは、Job Aidでカバーできることを含め、「そこにあるものでできることはまずやってみさせる」ことを含めて考えなければいけない。
これまで私はどちらかというと研修を狭義の意味でとらえ実践してきたと思う。研修をする前に、他のMaterial(Job Aidを含)の工夫も含めて考えていくべきだと思った。

8月18日(水) 文化の中の認知

昨日、群馬大学の伊藤先生が着任された。数学が専門で、日常生活で起こる出来事を数学的視点で話されるのが非常に面白い。たとえば、「南に100キロ、西に100キロ、北に100キロに行くともとの位置に戻るということはどういうことか」という質問。ちょうどその前に競馬場のコースの話をしていたのだが、それと関連するらしい。今日は、時間をみつけては、その回答を考えた。答えは・・・。考えてみましょう!

なかなか面白い質問だと思った。伊藤先生ともう一人の専門家今堀氏は、小学校の算数の指導書を開発している。教えこみではなくて、児童中心型アプローチに基づいた授業を展開するため、どういう教え方ができるか、ということをミャンマーの文脈に基づいて開発しているのである。算数、というと、公式があり、世界中どこでも同じルールが適応されると思われがちだが、実は、数の認識や数え方というのはかなり文化依存なのである。たとえば、日本では、8割4というと、8を4つに割る。しかしミャンマーでは、8の中に4がいくつあるか、と考える。前者を、Sharing、後者をGroupingというそうだ。また、リンゴが3つ、みかんが4つあると合計はいくつ?という質問を日本人にすると、すぐに7個と答えるが、これは、リンゴとミカンが同じフルーツにカテゴライズされているという前提があるから計算できるが、ある国では、リンゴとミカンは全然違うもので、一緒にする(足す)という考え自体が理解できないということもあるそうだ。このように文化における認知については、コールが文化人類学の視点から報告していて、学生時代は関心をもって、文化における思考についてずいぶん勉強した。実際にミャンマーという身近な事例を聞くとなかなかおもしろい。

Workshop on instructional design

今日は、熊本大学のS先生のインストラクショナル・デザインのワークショップだった。他の日本人専門家は、オブサーバーとして参加した。

WSが始まると、まずはじめに、S先生は、異なる教育観におけるインストラクションに関するカードを10枚配布し、それを2つのグループにわけ、なぜそのグループに分けたかを説明させた。比較・分類させた後に、Explain why you divided into the 2 groups with reasonsというところで、結構議論になっていた。比較・分類をさせるということがどういうことか、ということを後でCPと議論したいと思った。シンキング・ツールを使って「比較」させる授業案を作ったりするが、比較させるだけで、そのあとのQuestionが思いつかないという問題があった。今回、自分達が、2つのグループに比較して、どういうCriteriaでそれを比較したかを説明するということを体験したことで、比較をさせることが目的ではなく、比較をさせることで何を学ばせたいのか、という一歩高次な思考(メタ思考)について理解できたのではないだろうか。この部分について、あとでCPについてリフレクションしてもらおうと思う。また、比較したデータをもとに考察したものを、最終的にどうまとめるかという鈴木先生のテクニックも非常に分かりやすく、参考になると思った。

また、ARCSモデルのGetting attentionのところの事例も非常に興味深かった。地球にぴったりベルトを巻きます。ベルトを10Mだけ長くすると、地球とベルトの差はどれくらいになるでしょう、という発問。これは、いろんな考えがでて、議論が白熱した。公式に当てはまると、結論はでてくるのであるが、「まさかそんなことはないだろう」という疑問から、いろいろアイデアがでてくる。結局は、公式で出された結果がその答えになるのだが、みんななかなか信じられないようだった。そのため、身近にあるもの(コップ)などをつかって、試してみたりする人もバラバラでてきた。当たり前のように与えられる公式に疑問を持ち、公式自体に関心を持たせるという思惑は見事達成されたといえる。

その後、ガニエやケラーの理論を紹介しながら、実際に授業を改善できるかといった活動をした。内容だけではなく、そのWSの手法がとても面白かった。私自身、今日は学ぶことが非常に多かった。

全体をみる力(knowlege and skill of overviewing)

今日は、8月に実施するワークショップの準備をした。ワークショップの一部に、モニタリングの報告があるのだが、このPPTを作るのに非常に時間がかかった。同僚は、もともとロジカルに考えることが得意ではないので、PPTをみても、いったい何が言いたいのかがさっぱりわからない。報告書も、かなりうまくまとめることができるようになったが、まだまだ、パーツを組み合わせただけ、という感じがする。全員で一緒に研修を実施したり、報告書を書いたり、プレゼンを作ることは何度も経験を重ねてきたが、それぞれ役割を決めて自分の担当のところだけはしっかりまとめることができても、それを全体的にまとめて一つにして、全体の論理性を調整するということは非常に弱い。だから、ワークショップでも、ひとつひとつの活動はなかなか上手にできても、活動と活動の関連性が弱かったり、ワークショップ全体として何がいいたいか分からないということがある。

今後、個々で作ったものが全体の中でどういう位置づけであり、それぞれがどう有機的につながり、全体として言いたいことを伝えるかという部分についてしっかり指導していきたい。

8月16日(月曜日)研究論文のための観点模索

今日は、土曜日の振り替え休日ということで、同僚は休みである。そのため、今日は、一人でできる仕事を終わらせることにした。

午前中は、経理関連の書類をすべて処理した。これは時間がかかるが、プロジェクト運営には欠かせない。何にいくら使ったかという情報をきちんと整理して置く必要がある。事業仕訳の影響もあり、かなり厳しくチェックが入る。計画もそうだが、お金も計画通りにすべて必要になるのではなく、状況に応じて対応が必要になる。しかし、予算制だと、どうしても計画通りにしかお金が使えないのが弱点である。ずいぶん自費を削らなくてはならない部分もでてくる。仕方がないことなのだが、改善してもらい点である。

午後は、CPがまとめたモニタリング報告書をデータと合わせてチェックした。2年前は、ワードやEXCELを全く使えなかったCPが、データをまとめ、グラフにし、それを考察するようになった。考察(Interpretation)もデータに基づいていて、なかなかの出来だ。指導していた立場としては、この成長はかなり嬉しい。いくつかの点については、もう少し推敲が必要だが、データもしっかりとれているので、授業研究の成果と問題点は、明確に提示することができるだろう。これらの知見は、国際開発学会でまとめて発表する予定である。

8月14日(土曜日)12月の活動について再検討

本来、土曜日は、休日なのだが、K先生が今日帰国されるので、その前に12月の活動についてモニタリングの結果に基づき再検討するため、勤務日とした。

モニタリングを通して、ECの教員が「コントロールできること」「コントロールできないこと」が明確に出てきた。コントロールできるところについては、ECの裁量で実施してもらうにしろ、コントロールできないところについては、教育省にオフィシャルに支援してもらう必要がある。コントロールできないこととは、例えば、ECの教員が授業研究のための時間を確保できないこと、ECの学生が評価させるテストにLCAについての項目が入っていないため、LCAをECで実践する価値を教員も学生も感じることが難しいことなどがある。

そこで、学生の「学習評価」の観点にLCAの要素を入れることやDepartment of Teachers’ educationのInspectorがECを視察する観点に授業研究の実施を含めるなど、政府側からオフィシャルにこれらの点を支援してもらうよう働きかける必要がある。そのため、JCC (Joint Coordination Committee)に向けて、コントロールできない点を整理した。

8月13日(金曜日)考えさせる授業づくりに大切なこと

今日は、歴史と生物の授業案を完成させた。「考えさせる」ということがどういうことかを理解してもらうのにとても時間がかかった。考えさせるということを理解してもらうために、「考える」という言葉を、具体的な動詞に落とすということはやってきた。たとえば、「比較させる」「流れをつかませる」「理由を述べる」とすることで、より具体的に、学生に考えさせたい活動がイメージできる。しかし、何のために「比較させる」のか、何のために「流れをつかませる」のかがわからないままに、形だけ比較させるような発問が多い。たとえば、生物の授業案でも、クラゲとイソギンチャクを比較させるために、そのための発問とベン図を使わせるが、その結果をどう使って結論づけるかについては全く考えていなかった。なんのために「考えるのか」というDirectionがないままでは、形だけ「考えさせている」ことになってしまう。考えさせる授業づくりをするためには、メタ的な観点から授業をデザインする必要がある。これを人に伝えるのは非常に難しかった。

午後は、PDMを見直した。2年前にたてた計画(PDM)をみると、ある程度は計画通りに進めていくことができているが、進めていく中で見えてきた課題に取り組む中で方向が少しずれるところもある。PDMのいいところは、現地のひとと問題意識やその問題に対する解決策を共同で考え、その考えを共有していくという点である。しかし、それにしばられて活動を進めていくのには問題がある。「これをすればこうなる」という一般的な理論がそのまま当てはまるわけではないので、活動と現地のひととのインタラクションの中で、見えてきたことを対処していけるような柔軟性のある計画でなければ、その問題は解決できない。人は活動を進めていく中で、その活動に関する知見が増え、その地域への理解を深めていくため、より具体的で、良いアイデアを出すことができる。人が成長するということを前提に計画もまたDevelopしていけるような柔軟性のある取り組みが必要である。

8月12日(木曜日)リーダーシップをどう育成するか

今日は、1月に実施予定の研修について、同僚と議論をした。授業研究を進めていくためには、その中心となるリーダーシップの役割が重要となる。しかし、リーダーシップをとる管理職のパフォーマンスの悪さと比例して、授業研究がうまくいっていない。うまくいっていない、というのは、アンケート結果をもとに説明すると「授業研究を通して、新しい学習方法(LCA)を学ぶことができない」「自分の授業で直面した問題について授業研究に出ても解決できない」と応える教員の割合が多いということである。一方、管理職がリーダーシップを発揮して、教員同士の学び合いを促進しているECでは、LCAに関する理解度も高く、また問題解決のアプローチとして授業研究が機能していることがわかった。

そのためにも、やはり、授業研究におけるリーダーシップの育成が、本プロジェクトにおいても重要な要件であるといえる。そのために、次の研修を通して、何を、どう伝えていくかを組み立てる必要がある。その方法のひとつの提案として、事例ベースのディスカッションと取り入れる予定である。もともと、各ECからそれぞれのECで直面している問題について提示してもらい、その問題をどう解決するかについて議論するということを考えていたが、次の2つの問題が予想される。ひとつは、ECの管理職が、自分たちのECの問題を他のECに出さないということ。おそらく、うまくいっていると一貫して主張し、議論にならないかもしれない。ふたつめは、問題の根本な原因に管理職のマネージメントがあるのだが、自分たちに問題があることを彼らは決して認めないだろう。

そこで、モニタリングを通してIdentifyできた問題を3つか4つくらいの事例としてまとめ、この事例をどう解決すべきか、という発問にすることにした。これにより、各ECの管理職は、自分のECに共通の問題点があることを認識できるし、自分のECについて指摘されているのではなく、少し離れた位置からこの問題について考えることができると考えた。具体事例については、明日以降、検討する予定である。 そのほかにも、リーダーシップ開発などの研修もこれまで実施されてきているので、これらを参考にして、研修を組み立てていきたい。

8月11日(水曜日) LCAモデルビデオ制作

今日は、LCAのモデルレッスンビデオを制作するため、デモンストレーターになってくれるティンガン教育大学の生物(DKCM)および歴史の先生(DTM)と授業案を作った。二人の教員は、授業案を持ってきてくれたので、それをともに同僚も含めどのように改善できるかについて議論した。この二人の教員は、LCAに関して経験もあり、マスタートレーナー(他の教員に研修する人)であるのだが、授業案をみたところ、前途多難だな・・・と思った。しかし、ひとつひとつ石を積み上げていかないと家は建たない。時間がかかっても、一緒に議論しながら、問題に気づき、改善に向けてどういう方法をとっていくかをして学んでもらう必要がある。これをせずに、結果だけを求めても、何も出てこないのは明らかだ。

【歴史の授業】 歴史の授業では、第一回英・ミャンマー戦争(The first Myanmar English War)の単元を扱う。なぜ、この戦争が起こったかについて、歴史的背景を考察し、その結果、ミャンマーがどうなったかについて考えさせる。そこで、Cause and Effectシートというシンキング・ツールを活用して授業をデザインすることになった。DTMが作った授業案の流れは、①占領の定義について質問する(Intoroducation)、②The first Myanmar English Warについて議論させる、②テキストを読ませる、③グループを作り、それぞれのグループでCause and Effectのシンキング・ツールに答えを書かせる、④グループごとに発表させる、⑤答えを言う、⑥生徒に結論を言わせ、評価する、という流れであった。Myanmarにおける授業改善の研修では、授業デザインを大きく3つに分けることが提案されている。3つとは、導入、展開、まとめ、である。導入の事例として、前回の授業内容や本時で扱う内容について質問し、生徒の既有知識を確認するという方法が紹介されているが、みごとに、その方法以外取られない。つまり、の方法が、Intoroductionの唯一の方法になっている。 そこで、まずは、本時で一番時間をかけたいところが何かについて確認し、定義について質問することに時間をかける必要がないことを確認しあった。これにより、45分の授業のうちIntoroductionでかけようとしていた10分の時間を、展開部分に費やすことができる。

次に、②から③の流れについてだが、Cause and Effectに、教科書に書いてある内容をそのままコピーさせたところで、これを「Thinking lesson」ということができないのは明らかである。「考えさせる」とは何か、ということを確認し、単に教科書から答えを抽出させるのではなく、教科書に書かれていない部分を、考察させるところに授業の目的を設定した。そこで提案としてあがったのは、次の2点である。ひとつは、The first Myanmar English Warの要因を教科書からピックアップさせるのではなく、教員がその答えを5から10ほど用意し、「he first Myanmar English War」が怒った要因のうち最も重要なものを3つ選び、それを選んだ理由を考えなさい、という発問をするということである。答えはすでに教科書に書いてあるのだから、わざわざ教科書から答えを探させるのではなく、その理由を考察させるのである。ふたつめの方法は、5つほどの要因を並べ、「最も重要な順番に並べ、その順番にした理由を述べなさい」というものである。どちらの方法も、答えがあるわけではないが、理由を考える中で、Causeにあたる要因について「じっくり」考え、自ら関連性を見出すことができる(暗記するだけではなく、自分の中でストーリーを作ってその問題について持論を持たせることができる)。これこそが、学習における「考える」ことの重要なポイントである。そのほかにも、いろんな意見がでたので、これらの意見や考えをもとに、担当教員にもう一度授業案を作り直してもらうことになった。

【生物の授業案】 本時の授業では腔腸動物について学習させる。この授業を扱う上で一番の問題は、教員も学生も、腔腸動物をみたことがないということである。クラゲやイソギンチャクの写真をみせても、「Baloonみたいだ」「花みたい!」といい、教科書に抽象的に書かれたイラストレーションからは、実物がイメージできていなかったのだ。つまり、本物を知らず、教科書のイラストと説明文だけで、腔腸動物は、こういう生き物である、という知識を覚えているだけなのである。教員がそうであるから、その教員が教える内容もまた、それ以上にはならない。そこで、授業案を作る前の段階として、まずは腔腸動物がどういうものかということをインターネットや百科事典をひいて、写真をみながら確認した。教員も、初めて知る内容ばかりで、その状態からこの単元の授業案を作るというのは、非常に大変だ、と感じながらも、そのプロセスを教員自身が体験しなければ、学生にも同様の経験をさせてあげれないため、ここは忍耐強く、一歩一歩進めていくしかないのである。実際の授業をシュミレーションしながら、授業の流れを確認していった。 議論の結果、提案された授業の流れは、次の通りである。①腔腸動物についてしっていますか?どういうのがありますか?(写真をみせる)これは何かしっていますか?と発問する(Intoroduction)学生が腔腸動物について明確なイメージと関心を持たせたところで、展開の活動に入る。②腔腸動物には、2種類あるといわれています。その違いについて、教科書や資料をみながら、ベン図を使って、比較してみましょう。比較することにより、腔腸動物の特徴をつかむことができます。と「比較することの意味」を示した後、ベン図を配布する。③グループで、ベン図にクラゲとイソギンチャクという異なる2つの腔腸動物の特徴をまとめさせる。④学生からまとめたものを発表させ、ひとつのベン図にまとめ、「なぜ、このような違いがあるのか」と発問し、違いが生まれた背景について”考えさせる”。⑤その考察について発表させる。⑥その中で、Reproductionに着目し、これが腔腸動物の特徴のひとつであることを述べる。⑤腔腸動物のReproductionについて、異なる2つのプロセスについてイラストを見せながら説明する。 ②から⑤のプロセスに十分な時間が必要であるため、⑤の部分については、時間をかけて考えさせるのではなく、イラストを使って教員が説明するだけで十分であると考える。このような議論をもとに、授業案を作り直してもらい、金曜日に再度議論することになった。

データ分析の結果から見えてきたこと

モニタリングデータを分析していく中で、School based Teachers’ learningである授業研究が「うまくいかない」理由のひとつは、「リーダーシップ」に問題があることが明確になった。授業研究がうまくいっている教育大学(Educadtion College 以下EC)では、校長や学術部長、訓練部長などの管理職に加え、経験のある教員が積極的に新人教員や若い教員を巻き込み、互いに学び合おうとする環境を作り出している。一方、うまくいってないECでは、管理職が、教員同士の自律的な学習を評価せず、むしろそれをOverworkとして与え、授業研究に参加する教員は、授業研究を負担に思っていることがわかった。そのため、来年度の研修に向けてやるべきことは、授業研究におけるリーダーシップ研修であるということが明確である。授業研究におけるリーダーシップをどう育てるかについて、先行事例や研究を整理していく必要がある。
授業研究を、教育大学に導入してちょうど1年半がたつが、これまでの経過をモニタリグして思うのは、「授業研究」の意義、すなわち、他者から学ぶ、他者と学ぶ、集団として成長する、集団として新しいものを構築する、といったことに価値づけできない限り、授業研究を定着させることが難しいということだ。ミャンマーは、文化的には、非常に集団的で、協力関係もあるが、同時に、階級的で、競争的でもある。そのため、この新しい学習観を持ち、実践していくことは容易ではないということがわかる。ただし、不可能ではないことは、すでにいくつかのECで証明されている。成功しているECでは、日本や海外での教育経験があり、集団で学ぶことの重要性を経験し、それを自ら実践しようとする教員がいたのである。そういう教員がいることで、他の教員は、彼女たちの支援(Facilitation)を受け、同様に集団で学ぶことの意義を見出し、授業研究にコミットしているといえる。逆に、そういう人がいなければ、単に同じ場に集まり、授業について「批判的に」コメントや提案をし、新しいことは学ぶものの、自分が「批判されること」に不安や恐怖心を感じ、授業研究にコミットできないままになってしまっているのである。そういう意味では、知識やスキルだけを経験から学ぶのではなく、価値観もまた経験を通して構築していくような環境を整えなければ、従来問題として指摘されてきた「表面的な教授法の変化」にとどまり、授業研究を導入した意義がなくなってしまう。あと1年半の間にこの問題をなんとか解決していきたいものだ。

1日目 フィールド調査のデータ整理

今日(9日月)から本格的に、活動が始まる。まずは、職場のスタッフと私が不在中に実施したモニタリングやワークショップの成果や問題点について話してもらった。70点というところだろうか。ワークショップやモニタリングを専門家の支援なしである程度は実施できるようになってきたが、いろんなところで大事な点が抜けている。たとえば、ワークショップ後のReaction ,learning評価(カークパトリックの4段階評価のうち最初の2つの評価)が抜け落ちている。つまり、ワークショップをやりっぱなしになっている。モニタリングについても、データ収集まではなんとかできているが、データが整理できていないため、せっかく収集したデータがどこにあるか分からず、データが抜け落ちている。データ収集の際には理論的サンプリング (経験者、初任者、専門科目、教育方法などから2名ずつ選定)をしているので、データが欠けると、どこに問題点があったのかについて後で分析しにくい。しかし、今までは、パソコンを使ったこともなく、調査もしたことがなかった彼女たちが、質問紙を作って、実施して、収集するできるようになった点では、90点というところだろうか。また、質的データについてもある程度、分析できるようになったのも、2年前なら考えられなかったことだ。  今後は、彼女たちが収集したモニタリングデータを分析し、問題点を明確化し、次の研修に向けた準備が必要になる。これにはだいぶ時間がかかりそうだが、やるしかない。ひとりでやるほうが確実に早いところもあるが、将来彼女たちがミャンマーの教育を率先して改革していくのだから、彼女たちの能力を育てるためにも、一緒にひとつひとつやっていく必要がある。

ヤンゴン@ミャンマーに到着

昨夜、午後6時くらいにヤンゴンについた。きっと暑いだろうな、と思っていたが、びっくりするくらいに涼しい。今年は雨期が来るのが遅いらしく、今は、雨期前の涼しく風のある一番いい季節だそうだ。ホテルについて、クーラーをきっても、快適に過ごすことができた。

さすがに初日は疲れて、翌日の会議の準備をしてからすぐに寝たが、時差の影響か、3時くらいに目がさめた。昔は時差なんて関係なくいつまででも眠れたのだけれど・・。

今日は、朝9時から同僚の専門家と会議を持った。この夏に実施する活動内容を共有し、本プロジェククトの実施状況、問題点を整理した。しばらくミャンマーから頭が離れていたのだが、一気に「こちらの現実」に戻った。ミャンマー人の同僚に会うまでに、どういう段取りで活動を進めていくかしっかり整理しておかないといけない。

午後は、留守中に山積みになった書類の整理。かなり時間がかかりそうだ。

ところで、海外に出ることのメリットは、普段考えないことを考えることができることである。普段無駄だと思うことをだらだら考えたり、本当は考えなければならない重要なことをじっくり考えたり、いつもと違う心や頭を使うことができる。「何かを見ようとすると、何かが見えなくなる」ということはまさにそうで、日本では見ようとしていなかったこと、考えようとしていなかったことが、国外に出ることでみえたりするのだ。そういう意味では、自分が身を置いている場を出て、外の刺激に浸ることは成長の上でも重要だと思う。

今日からミャンマー出張

今日から、ミャンマー出張だ。現在、タイ国際空港でトランジット中。出国するまえに済ませておきたかった書類を、未処理のままでてきてしまったので、今日は、ホテルについてからがんばらないといけない。

明日は、職場で専門家間の会議がある。半年以上来ていなかったので、アレンジをしっかりしておかないといけない。何をするにも許可が必要なので、少しでもアレンジに不都合があると、何もできない可能性がある。1か月前からカウンターパートに指示を出し準備進めているが、何か漏れがないか、許可の申請はできているかは、行ってみないと分からない。不安はあるものの、今回やるべきことがかなり多いので、気合をいれて頑張ろう。

ミャンマー出張です。

8月6日から8月22日まで、ミャンマーへ海外出張にいきます。目的は、国際協力と研究のためです。2008年から、ミャンマーの全国の教育大学の授業改善のため、何度か渡航し、教員に対して研修を実施したり、モニタリングをしてきました。今回は、9月に実施する研修の準備と教育大学の授業改善が何がどう達成されたかを調査していきます。

その後、一度帰国し、再度、ミャンマーに渡航します。2回目の渡航は、8月29日から9月6日までの9日間です。これは、教員気集の実施のためです。短い期間の渡航を2回もしなければいけないので、結構大変なのですが、がんばってきます!

【KUFS】JAPAI`I Projectの最終評価

今日(8月4日)は、京都外大とカピオラにコミュニティカレッジと共同で実践している日本語教育のための交流学習JAPAI`I プロジェクトの最終報告会を行った。KUFS側は、私、中俣先生、中西先生、村上先生、参加してくれた学生2名、KCC側は、片岡先生、学生2名、そして、この交流をKCC側からサポートしてくれている関西大学久保田先生、長崎大学寺嶋先生がこの会議に参加した。日本時間10時から12時の2時間、テレビ会議を通して下記の議題について話し合った。

(1)本交流を通して学生が学んだ事、難しかったこと、本プロジェクトへの提案
KUFSおよびKCCの学生から、それぞれ5分程度

(2)教員が気づいたこと、提案

(3)交流の具体的な方法、ルールについて

(4)本プロジェクトのスケジューリング

である。学生からのコメントも非常に説得力があり、それに対して教員同士で改善に向けた議論ができた。非常に実り多い議論ができたと思う。

午後は、教員間で、本プロジェクトを教育工学の観点から、どういう視点で研究していくかについて話し合った 。本プロジェクトに向けた準備が着々と進んでいる。

【KUFS】H先生ゼミのビデオ制作もそろそろ終盤

今日(8月3日)も、ビデオ編集の支援をした。H先生ゼミのビデオ制作も終盤に近づいている。これで終わらせたい!という学生の気持ちが高まり、ちょっとしたエラーにもかなり神経質になっているようだった。かなり苦労して制作していたので、完成したものを誰かに視聴してもらい、そのフィードバックをもらった時、感動はきっと大きいものになるだろう。「ものづくり」の観点から、学習を捉えることの意義をつくづく感じた。

私の授業でも、「作り上げた!」という感動と、チームで制作する事の意義を作品を通して感じてもらいたいと思っていたが、学生のレポートを読んでいると、チームワークが一番難しかったということがわかる。レポートの中で「自分が何をすればいいか分からなかった。どういう役割をすればいいかがわからなかった」というコメントがいくつかあった。チームの中には、1、2人パソコンに強い人がいて、その人だけですべて作品を完成させてしまうことがある。

「自分だけができればいいのではなくて、人をどう共同の活動に巻き込むのか」「一人でやるよりもいいものを作り上げるためには、他者との協力が不可欠だ」「他者と共同することの意義」ということをどうしたら気づいてもらうことができるんだろう。これは、言っても分からないし、体験が必要だが,体験すればいいというわけでもないので、それが難しい。

【KUFS】他言語によるビデオ番組

以前から授業支援をしているH先生の現代ゼミが制作しているビデオ番組も、終盤に近づいてきた。今日は、完成した映像に、中国語、イタリア語、英語など他言語の字幕を入れるという作業を手伝った。字幕がうまく挿入できず困っていると連絡があったので、手伝いにいったが、プロセスをみていないので,何が原因かがよくわからなかった。結局、一方手前の作業からやり直すことで問題は解決した。

それにしても、他言語の字幕をいれてビデオ番組を制作するというのは、非常に大変な作業だが、意味のある活動だと思った。翻訳はそれぞれの学科の学生が担当し、翻訳した。つまり、この番組制作というAuthenticな活動を通して、学生は、授業で習っている語学を使ってinterpretし、分からないところや不安なところは、専門の先生に聞いて、表現方法を直し、生きた語学を学んだいるのだ。テストのための語学ではなく、伝えるという目的のために語学を学ぶことは、意味付けが違う。語学教育の観点からみても、この取り組みは、非常におもしろいと思う。

国際交流学習を通した高次思考力育成に関する研究

今日から、標記の研究を一緒にしている共同研究者の三宅先生がフィリピン入りする。2学期から、小学3年生を対象とした国際交流が本格的に始まる。この国際交流学習でめざすもののひとつは、異文化理解における高次思考力の育成である。異文化に置ける高次思考力というと、イメージしにくいと思うが、言い換えれば、異文化をクリティカルに読み解く、ということである。

鈴木(2008)は、異文化をクリティカルに読み解く作業を次ぎのように定義している。

異文化をクリティカルに読み解く作業とは、ある異文化に接触した時に、自分がその文化に対して持っている視点や考え方に関する内省を繰り返し、その文化に関する情報を集めることや、さまざまな角度からの新たな批判的検討を加えることを通して、その文化についてのより深く、相対的で、複合的な理解にたどりつくこと。

我々が対象としている事例では、小学3年生とフィリピンの児童の交流になるが、フィリピンというと児童は、ネガティブなイメージを持っている。しかし、交流を通して、おそらく新しい視点、ものの考え方、価値観が入ってくると思うので,そこでおこる摩擦を解消することを通して、その文化に対して相対的で、複合的にみれるようになると考える。思考のキーワードを使うならば、「多角的な視点からの解釈」になる。これは、単に交流させればできるようになるのではなくて、教師による様々な仕掛け、すなわち、児童の思考力育成を促すための交流相手とのインタラクションのデザインが不可欠になる。どういったデザインが、国際交流学習における思考力を促すのかについて今後検討していきたい。

参考文献:鈴木健ら(2008)クリティカル・シンキングと教育.世界思想社

組織研究@京都大学 (3日目)

今日(7月30日)は、高等教育研究演習の最終日で、「学習する病院組織」(松尾睦著)と中原先生の研究について議論した。

「学習する病院組織」の著書は、論文を書籍化したものだと思うが,非常に、構成がうまく、参考になった。博士論文を書く人にはかなり参考になると思った。ただ、内容については、いくつか疑問点が出てくる。この本では、組織自体が学習(発展)していくためには、非ルーチンが重要であると述べ、発展した3つの病院組織を事例として、非ルーチンがどのように作られてきたかについて述べられているが、導きだされた知見がなぜ非ルーチンであると言えるのか、がよくわからなかった。しかし、非ルーチンの役割が,組織にとってかなり重要であることは間違いないので、研究の視点としては面白いし、自分ならどうやって研究するか、ということを考えながら読むことができた。

中原先生の研究については、私が長年、「よくわからない」と思っていた部分についての明確な示唆があった。それは何かというと、複数の事例を対象として、それをフラットに分析する(入れ子になったデータの処理)可能性と限界である。つまり、Critical incidentsの論文でもそうだったけれど、複数の組織の中から複数名人を選んで対象とする方法、たとえば5つの組織から10名ずつ対象者を選んで,被験者をN=50として分析するというスタイルへの疑問であった。こういう手法での研究で問題が指摘されるのは、級内サンプル間の独立性の保証である。私自身、ミャンマーの教育大学の授業改善の研究をしているが、これも9の教育大学から、15名ずつ被験者を出して、それをフラットに分析していた。しかし、これでいいのか、という疑問は常になった。これについて中原先生も問題意識があり、その解決方法として、次つの研究手法を用いていた。ひとつは、組織レベルの変数への集計である。これは個人のレベルデータを捨てた分析方法である。ふたつめは、ロバスト標準誤回帰分析(Sata, SAS分析)、そして3つめが階層線形モデル(HLMによる分析)である。階層線形モデルでは、組織が個人にあたれる影響を考慮するために、組織内の対象者の平均をその組織の特徴とし、5つの組織であれば、N=5として分析するらしい(その場合、対象とする組織の数がある程度多くなければならないが)。言い換えれば、級内の個人データを消して平均とするのである。複数の事例から、それぞれ被験者を数名選んで得たデータは、nest data(階層データ)といい、これらのデータをフラットに扱う研究方法は、これまでかなり採用されてきたが、近年、教育工学でも組織研究でも問題視されている。中原先生の研究では、質的に集めたデータ(自由記述によるデータ)を、因子分析のための項目を生成するために使い、そのあと相関を出しているが、そこでこぼれ落ちるデータが何か、そのデータを落とすことでどういう限界があるかについてかなり関心がある。詳細については、今後発刊される著書に書いてあるというので、それをもとに疑問を追求していきたい。