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組織研究@京都大学(2日目)

2日目は、次の3つの論文および書籍を輪読し、議論した。私は、そのうち、「Critical Incidents in communicating culture to newcomers. The meaning is the message.」について報告した。(資料はコチラ

#4 組織社会化研究の先行研究
・Gundry L. and Rousseau, D.(1994) Critical Incidents in communicating culture to newcomers. The meaning is the message. Human relations. Vol.47 No.9 pp1063-1088
#5 経験学習
松尾睦(2006)経験からの学習. 同文舘出版, 東京
#6 経験学習
モーガン=マッコール(2002)ハイ・フライヤー:次世代リーダーの育成法. プレジデント社

特に、興味深かったのは、リーダーシップの育成に関する研究である。企業だけではないが、組織の多くは、社員に、リーダーシップを発揮し、後輩の指導、新しい商品やプロジェクトの開発、事業の運営などを求める。リーダーシップについて、1940から1950年までは、個人の資質として捉えられてきた。つまり、リーダーシップとしての資質がある人が、リーダーになれると考えられてきた。1960年になると、PM理論というものが出てきて、リーダーに求められる力とは、Performance(課題を作って取り組む)とMaintenance(人間関係調整することなど)であるとされ、どうすれば、そういう力をもったリーダーを発掘できるかについて議論された。1970年代は、状況のコンティンジェンシーという概念がでてくる。それは、リーダーシップというものが状況的であるという考えである。つまり、リーダーに求められる力とは、固定的なものではなく、その状況(部下のレベル、会社の風土など)によって異なることが指摘された。1980年代には、変革型リーダーシップという概念が提示された。それは、リーダーシップを取る人は、組織や仕事場を変えることができる人であるという考えである(BY ジョン・コッター)。その後、リーダーシップというものは、個体で達成されるものではなく、集団的、分散的、共有的であるという考えが入り(フェローシップとのインタラクションなど)、リーダーシップに関する研究は、個体に働きかけるのではなく、その個体を取り巻く環境がどうであるのか、どういう環境でリーダーシップが発揮されるのか、という研究にむかっていた。さらに、1980年代後半では、そのように環境によって、リーダーシップが発揮されるのであれば、どうすれば、リーダーシップを開発できるのか、という「り―ダーシップ開発論」に発展していった。これは、リーダーになるであろう人に、分析法や思考法を教え込んでトレーニングするのではなく、彼らに、経験を通して、「持論」を持たせて、その人なりのリーダーシップを発揮させるような環境を作っていこうというものである。これは、経験アプローチまたは持論アプローチと呼ばれている。このように、個体に持論(こうすればうまくいく!というその状況にあったその人なりの考え)は、「経験」が不可欠だと考えられ、経験を通した学習をいかにデザインするかについて関心を集めている。

これらの研究知見は、高等教育にどういかせるのか。ひとつは、リーダーシップの育成とは、一朝一夕にできるものではないため、その素地となる力を高等教育で育てる機会を設けるという考えである。企業に入れば、リーダーシップをとれる社員の選定があるが、そこの残るために必要な資質、たとえば、emplyability を身につけさせる機会を整えることである。その具体的な方法として、チームワークが不可欠なグループ学習などがあるだろう。チームワークによる学習は、かなり多くの力を必要とする。たとえば、調整力、マネージメント力、分析力、コミュニケーション力、そういった力はリーダーとして不可欠な資質である。こういうことを高等教育で経験することができれば、社会にでたときに、これらをもとに、自分なりの方法(持論)をもって、リーダーシップを発揮できるといえる(マッコールも彼の著書の中で、リーダーシップの方法は、その人の経験に基づいていると述べる。)。言い換えれば、リーダーシップの前提は、チームワークであるから、チームワークの経験を高等教育でもしっかり持たせるということが大事だ、ということだ。それは、私自身の経験からも、そうだと言い切れる。授業でも、授業外でもそういう機会を高等教育が提供していくことは、今後必要な課題になっていくのでは、と思う。

組織研究@京都大学(1日目)

京都大学の高等教育総合演習に参加することになった。京都大学は、高等教育研究が盛んで、私自身、京都大学が発刊する論文や雑誌を参考にさせてもらっている。Faculty Development(FD)が義務付けられ、KUFSでも、授業改善を含む高等教育改善がとりくまれている。マルチメディア教育研究センターでの仕事のひとつに授業改善支援や高等教育改善のための組織的な取り組みも含まれるので、京都大学での高等教育研究について、またそれをどういう観点から研究しようとしているのかについて知るため、この演習に参加することにした。

この演習を担当するのは、東京大学の中原先生である。中原先生は、「おとなの学びをデザインする」ことをテーマとし、組織、おもに企業を対象として、リーダーシップの育成、企業内人材育成、組織の活性化(学習する組織のデザイン)などを研究している。この演習を受ける理由は、KUFSにおける業務にその知見を活かすことであるが、それ以外にも、個人的な関心はある。組織の研究は、私の専門テーマである実践共同体はかなり重なる部分があり、中原先生自身が、学習するコミュニティ(組織)をどう捉え、どういう観点から研究するかについて知りたいと思った。

一日目は、下記の3つの論文を輪読し、高等教育研究にこれらの研究知見をどう活用できるかについて議論した。

#1 組織社会化研究の概論
・高橋弘司(1993) 組織社会化研究をめぐる諸問題. 経営行動科学 Vol.8 No.1 p1-22
#2 組織社会化研究の先行研究
・Wanous, J.(1973) Effects of a realistic job preview on job acceptance, job attitude, and job survival. Journal of Applied psychology. Vol.58 No.3 pp327-332
#3 組織社会化研究の先行研究
・Feldman, D. C.(1994) Who’s socializing whom? : The impact of socializing newcomers on insiders, workgroups and organizations. Human resource management review. Vol.4 No.3 pp213-233

議論した内容については、別途アップする。

2010年前期 最後の授業

今日(27日火曜日)は、授業最終日だった。私も、また学生も、この授業のスタイルに慣れてきたころだったので、これで終わりなのは、なんだか惜しい感じがする。

「情報技術の実践」では、チーム学習が基本になっているので、はじめは、なかなかなれなかった学生も、最後の授業では、最終課題を協力的に取り組んでいた。いつも行っている授業終了後の振り返りにも、チームワークの重要さ、学習の捉え方の変化、他者への関わり方の変化について述べている学生も多く、とてもうれしく思う。

また、「映像メディアの制作」では、ひとつのグループが、作品を完成させる間際でファイルが壊れてしまい、作りなおさなければいけないというハプニングがあった。しかし、そういうハプニングがあったからこそ、チームで協力してやることの大切さがわかった、と振り返りにあった。

上記の2つの授業ともに、私なりにいくつも反省点がある。そのうちの一つは、「体験を通して、関連知識・技術、チームワークを学ばせる」ことを基本概念として、チームによる課題ベースの授業スタイルを実施してきたが、「内省」のための時間を十分にとれなかったことである。やりっぱなしにならないように、何が問題で、何がよかったのか、どこまでできるようになって、次の課題は何か、ということを内省させることが重要であり、そのためには、学生同士のインタラクション、教員とのインタラクションが必要であったが、ほとんどが、個人で内省(振り返りを書いて)終わり、になってしまった。映像も、作品をつくらせ、みせて、終わり、になっていたので、その作品をもとに、全員で振り返る時間をもつようにしたい。また、もうひとつの反省点として、一つ一つの課題の意味づけをしっかり共有するということである。何故、この課題を、この流れで、チームで取り組む必要があるのか、ということをはじめのうちに十分に共有できなかったという反省点がある。授業が始まる前に、「学習する」ということをどう捉えて、そのために、これらの授業がどのように設計されているかを学生と共有することも必要かと思う。これらの反省については、来学期にいかしていきたい。

テレビ会議を活用した輪読

今日(26日月曜日)は、午後4時から6時まで、英語論文について、米国にいるK先生とディスカッションをした。テレビ会議を使って議論するということがかなり日常的になってきた。これまでは、いつでもどこでも誰かと議論できる環境にいたが、個人研究室にいると、なかなか外の人とつながりにくい。しかし、テレビ会議をすることで、研究していることや、教育に関することを、その分野の専門のひとと議論することが容易にできる。ただ、相手が、テレビ会議での議論に慣れていることが前提になるが。

先日参加した国際会議でも、ハワイ大学の教授HO先生とバート先生が、WEB上での抗k際会議の取り組み(TCC)について研究報告をしていた。ハワイは、小さな島で構成されており、また本土からも離れているので、移動するのにお金も時間もかかってしまう。そこで、テレビ会議を使って国際会議をすることになった。Illumitate(?)というテレビ会議システムを使って多地点で行っている。参加者は、100名を超え、学会誌も発行しているという。この取り組みは、まだ新しいので、それ自体が研究になるが、将来的には、こういう国際会議のスタイルが、当たり前のようになっていくのではないだろうか。(実際、科研会議も、これまでは、全国から共同研究者に集まってきてもらっていたが、今は多地点テレビ会議を使って実施している)。

午後は、スペイン語の授業で、「自律的な学習を支援するための学習環境をデザインする」ことを目的として、アンケートを実施した。REAS(WEBアンケート作成システム)を使ったので、集計が非常に楽だった。何が促進要因で、何が阻害要因かを明確化して、授業改善につなげることができれば、と思う。

Critical incidentsを通して組織の文化規範を知る

今日(25日日曜日)来週京都大学で発表予定の、Critical incidents in communicating culture to newcomers: The meaning is the messageという英語論文を読んだ。非常に面白い論文で、自分の研究にもかなり使えそうだな、と思った。この論文では、新人社員が、組織にはいった時、その組織では、どういう行動規範が求められているかをcritical incidentsを通して理解するのだと述べている。それぞれの組織にどういった行動規範があるのかをどう新人社員が認知し、認知してから、どう振る舞うようになるのか、ということについて論じられている。かなりボリュームのある論文で、読むのに丸一日かかったが、非常に面白いので、この研究方法を自分のフィールド調査でも使ってみようと思う。

【KUFS】協働で学ぶことの大切さに気づく

今日(24日土曜日)は、補講の日である。土曜日に大学に来なければいけない学生の気持ちを考え、今日は、「楽しい授業」にしようと、グループ活動中心の授業にした。普段の授業からグループ活動は多いが、そのほとんどが、「分担してひとつにまとめる」ためのグループ活動であった。今日の課題については、全員でひとつのもの(要約をする)という課題にした。

授業終了後の振り返りの中に、次のようなものがあった。

「基本的に私が班を引っ張っていく立場なのですが、最初はうまくいかなかったのですが、みんなの意見を出し合ってなんとかやりきることができたと思います。自分!自分!と考えるのではなくみんなの意見を落ち着いて聞くことも本当に大切なのだと実感できたと思います。これからの班行動に今日の経験を実践していきたいと思います!」

非常に嬉しいコメントである。この授業は1年生を対象にしたものだが、最初のうちは「グループ活動が嫌だ」「グループでやる意味がわからない」などグループ活動に対してかなりをネガティブに捉えていた学生が少なからずいた。しかし、14回目の授業のグループワークでは、全員が関わりながら、課題に取り組んでいたように思う。その中でも、こういったグループで学ぶことの意義に気づいた学生がでたというのは、授業をする人間としては非常に嬉しい。

私自身、学生の頃は何でも一人でできると考え、協力する=誰かを助ける、ということくらいにしか考えていなかった。しかし、グループで学ぶということは、分担する、分業する、ということではなく、アイデアを出し合ってひとつのものを作ったり、自分の弱いところを他の人に補ってもらったり、逆に自分が強みとなるところを、活動に貢献したりすることだということを社会で学んだ。こういった経験を大学でするかしないかで、社会で自分がどう振る舞うかはだいぶ違ってくると思う。成功も失敗もすべて自己責任として捉えるのではなく、自分の能力を、人やものを含めたものとして捉え、どうすれば、より大きなゴールを達成するために、誰を一緒に、何を、どうしていくか、という観点から、行動できるようになるとよい。振り返りをみていても、学生がかなり私にも授業にも馴染んでくれているのが分かり、残り1回の授業で、この授業が終わることをかなり寂しく思う。

取材を通して、本質を明らかにする

今日(23日金曜日)は、現在、執筆予定の本のため、フリーでドキュメンタリー番組を制作しているディレクターNさんにインタビューをした。Nさんは、10年ほど制作会社で働いており、彼女が取材してきたアスベスト問題などは、ゴールデンタイムに放送されたりしている。彼女のインタビューの中で非常に関心を持ったのは、「取材を通して、本質が明らかになる」という言葉だった。時事を取材し、新しい情報をすぐにパブリックに放送することも大切だが、当事者の世界に入り込み、彼らとじっくり向き合うことで、見えてこなかった世界に光を当てることができると彼女は言っていた。かなりニッチなことになるため、必ずしも「売れるニュース」にならないかもしれないが、彼女がジャーナリストになったきっかけは、「みんなが見ようとしない社会問題に光をあてる」ことだったからこそ、当事者の意味世界にせまるため、時間をかけ、人間の関係を作り、そこから本質をさぐるような取材をしてきた。この点では、エスノグラフィーに非常に似ている(違いは、理論があるかどうかの点くらいではないだろうか?)。取材も、聞いた事をそのまま報道し、言い切ってしまうやり方もあるが、彼女のように、言葉の中に含まれる意味を、いろんな角度から捉えて、そこにどういった背景や価値観があるのか、ということを考えながら、本質にせまっていく取材は、簡単に誰もが情報発信者になれるようになったこの時代、非常に重要な姿勢だと思う。こういうしっかりした志をもったジャーナリストがいるからこそ、我々は、普段気にしないが、非常に重要な社会問題に気づくことができる。フリーになってもまた、そういった社会問題を取材し続ける彼女を私は、非常に応援したいと思った。

ところで、Nさんは、最近、制作会社を辞職し、フリーランスで仕事をしているが、その傍ら、ソーシャルビジネスを始めようとしている。彼女がはじめようとしているソーシャルビジネスは、アジアン雑貨店兼カフェである。アジアン雑貨として売る商品は、タイの貧困地区の子どもたちがつくったものである。その地区は、あまりの貧困のため、そこに住む子どもたちは、将来,ストリートチルドレンか売春婦になる以外将来を想像することができない。このような環境におかれている子どもたちは、精神的にもかなり参っている事が多く、そういう子どもたちへの支援としてNGOがアートセラピーを始めた。アートセラピー、すなわち、子どもたちに自己表現をさせることで、不安、恐れといったネガティブな感情を外に出したり、期待、希望を表現させることで、明るい将来をイメージさせたりすることで、そのNGOは、子どもたちの精神的な支援を行っている。このような取り組みを長期的に実施していく中で、子どもたちの作る作品のクォリティがあがり、商品化できるのではないかという意見がでてきた。実際に、タイ国内で商品として一部売り出したところ、反響が大きかったようだ。そこで、Nさんは、そういった商品を日本で売り出すことで、貧困から抜け出ることをイメージすることさえできなかった子どもたちに、自分たちでお金をかせぎ、それをもとになりたい自分になれるという可能性を持たせよう、と考えたのである。

その店の名前はムーレック(小さな手)。今年度中に開店予定であるという。ビジネスを通して社会問題を解決するソーシャルビジネス。私のやりたいことを一足早く始めようとしてる人がいる。多いに刺激になるし、参考になる。

【KUFS】自律的学習を促す要因、阻害要因を明らかにする

自律的学習を進めているスペイン語の授業が2つある。実際に授業観察を行ったが、見た限り、学生は,自分たちのペースに合わせて、学習を進めていた。しかし、一部の学生は、なかなか自律的に学習することが難しいようであった。自律的学習においては、やる気のある学生はどんどん学習を進めていくことができるが、そうでない学生は取り残されてしまう。そこで、何が自律的学習を阻害しているのか、逆にどういう支援をすれば自律的に学習するかを明らかにするために、アンケートで現状調査をすることになった。

アンケート作成においては、第二言語学習、自律的学習をキーワードに事例研究をレビューし、そこで用いられている方法を参考にした。驚いたことに第二言語習得研究において、自律的学習の研究が多くあるということだ。背景はこうだ。語学学習は、教室の中だけではなく、むしろ、教室外でも自分達で学習していくことが求められる(そうでなければ、学習は継続される、語学習得は難しい)。そのため、教育においては、語学を教えるだけではなく、語学をどう学ぶか、というところについてもしっかり学ばせる必要があるというのである。確かにそのとおりである。授業を一生懸命にうければ、その言語がはなせるようになるかと言えばそうではなく、自分で教材を選び、自分のスタイルにあった学び方で、継続的に学習していく必要があるのだ。このように、語学の学び方を考慮して授業をデザインすることの重要性が指摘されている。

アンケートはREASを使って作成した。ウェブでアンケートが簡単に作れるのは非常に便利だが、失敗したら大変なので、何度も確認が必要になる。今日(22日木曜日)は、このアンケートを作るのに(先行研究のレビューを含め)一日かかった。

大学での学び② 社会企業家になった女性 

今日は、社会企業家になったSさんにインタビューをした。このインタビューは、大学での学びをデザインするための本を執筆のためのものである。
Sさんは、中学校の時に、ジャピーノに関するテレビ番組をみたことがきっかけで国際協力に関心を持つ。高校で青年海外協力隊(JOCV)を経験した先生の刺激をうけ、自分も国際ボランティアにあこがれる。大学は、情報系の大学だったため、しばらく国際協力の思いを忘れるが、グローバル一イッシュを扱うゼミに入り、国際協力への関心がよみがえる。同期のひとりが、学生時代にJOCVに参加することになった。刺激を受けるが、その当時、JOCVに参加するために必要な技術を持っていなかったため、3年間だけ企業で働くことを決める。SEとして3年働いたのち、JOCVとしてパナマへ。国家警察に派遣され、2年間働く。その間、先住民に対する支援活動をしているJOCVと議論したり、活動をみる中で、援助の限界を感じるようになる。帰国後、大学院にいき、フェアトレードについて研究する。その時には、支援する人ーされる人という関係の国際協力ではなく、ビジネスにのせた社会問題改善について関心をもっていた。大学院2年になってソーシャルビジネスを知る。その後、多文化共生センターで勤務し、結婚し、出産し、ソーシャルビジネスをはじめる。彼女のこの原動力や行動力、そしてソーシャルビジネスへの思いは、どのようにして生まれたのか。そこに大学での学びが深く関連していた。これについては、本にまとめる予定である。

集合的エスノグラフィーの実践

今回、K大学の修士課程の学生3名と一緒に、大学院の学習環境に関する研究を行った。この研究を通して発見したことは多い。これまで、解釈学的アプローチから、学習者の意味世界を記述する方法として、Grounded Theory Approachがあった。そこでは、研究者が、フィールドにどっぷり入って、そこで見聞きしたことを事細かくフィールドノートとして記録し、最終的にはそれを分析していく。
今回、私たちが実践した研究では、研究する側の人間が、研究される側の人間だということである。つまり、研究者(私)が彼らが自分たちの学習環境をクリティカルに捉え、その意味世界を構築することをファシリテーとして論文をまとめたのである。これは、「外からの研究者が、中にいる人の意味世界を記述する」という従来の方法とは異なり、外からの研究者が、「中にいる人が自分たちで意味世界を記述するのを助ける」という点で大きくことなる。 GTAのコンセプト自体が、研究者と当事者の協働による意味世界の構築であったが、これまでの主体は研究者であったのは間違いない。これを、主体を当事者とし、研究者はそれを支援する役割にたつというのは、研究方法としてとてもオリジナリティがあると思う。こういう研究方法をどう表現すればいいか分からないが、今は「集合的エスノグラフィー」という言葉を使う。
集合的エスノグラフィーの実践を通して、今回一緒に研究した3人の院生の行動や考えは大きく変わっていたと実感している(調査はまだしていない)。たとえば、K君は、課題研究の意義をとらえ直し、積極的にweb2.0ツールと使って、院内のコミュニケーションを図ろうとした。これは、分析を通して、その意味を客観的に捉えることができるようになったからだと思う。事実、彼ら自身のインタビューも今回の調査データとなっていたが、1回目のインタビューでは、分析的(クリティカルな視点)から述べたものではなかったが、追加インタビューでは、より分析的に、クリティカルに自分たちの学習環境を捉えることができるようになっていた。つまり、自らのデータや学習環境を一歩ひいて研究することで、より「自覚的に」なることができるようになったといえる。
このような視点から、一本、新しい研究方法として、当事者によるエスノグラフィー実践に関する研究論文をまとめてみたい。

国際教育協力 なぜパレスチナ難民の教育支援なのか

今日は、6時から7時の1時間、テレビ会議で、国際教育協力に関する論文の議論をした。この論文は私の親友が博士論文として取り扱っており、シリアのパレスチナ難民の教育支援をフィールドとしている。シリアのパレスチナ難民の教育をフィールドとして論文を書く際、どう論理を展開していくか、について議論した。

(1)母集団の中の代表的事例として扱うのではなく、特殊な事例であることを示す。
はじめは、途上国に置ける教師教育を研究テーマにすることで、他の国にも転移できる知見を提示する事を目的としていたが,パレスチナ難民の教育支援というのは、母集団のサンプルにはなりにくい。そこで発想を変えて「特集な事例」として扱い、なぜこの特殊な事例を扱うか、ということを論理的に説明することになった。以上のことから、他の国に当てはめることを考えるのではなく、特殊性をベースに論じる。たとえば、パレスチナ難民について扱うなら、中東和平の必要性などがある。theoretical samplingをしっかり書く。その上で、日本は何を貢献できるかを論じる。→文化人類学的な視点が必要。

(2)UNICEFやUNESCOとの関連について述べる
UNICEFなど国連機関が提案する教育方法や教育方針の前提は、「学校にいけば、日常生活に必要な知識技能を学ぶことができるため、学校にいくことは重要である」ということである。近年は、教育の質の重要性も重要視され、教育方法の改善にも力が入れられている。しかし、UNICEFやUNESCOも「教育は多様である」と述べているように、フォーマルeducationで扱う内容は、その国、地域の文化によって多様なのである。つまり、西洋で開発あれた教育内容や教育方法を学校で適応し、そこにいけば、日常で必要とされる知識やスキルが習得されるというのではないのである。言い換えれば、それぞれの国や地域に基づいた教育内容や方法がとられていく必要がある。たとえば、中東地域では、400万を超えるパレスチナ難民がおり、長引くイスラエルとの争いの中で、子どもは希望や期待を持てない。そんな状況で学校にいき、果たして日常生活で必要な知識、スキルを身につけることができるのか?否。彼らが、学ぶべきことは、どうストレスをマネージメントしていくのか、どう他者とコラボレーションして未来を創造していくのか、どう問題解決していくのか、そういったことなのである。問題解決といっても、日本で扱われる問題とは異なるのは自明の通りである。そういう意味で、学校が果たす役割は、単に「教科書似かかれている内容を暗記する」のではなく、彼らの文化に根付いた問題を扱っていくための方法や知識を身につけさせることである。以上の点から、学校の役割、そして教師の役割は、単に、分かりやすく教科書の内容を教えるだけではないことがわかる。そこに、地域ベースで、教育方法や教育内容を検討していくような取り組みが必要になることがわかる。(※金太郎あめのような教育方法の支援ではだめ!)

(3)海外で実施されている授業研究のレビュー
APECが授業研究の事例研究をウェブ上で公開している。インドネシアや南アフリカなどで実践されている授業研究の事例が報告されている。これらの事例を分析に、今何が問題となっているのか、研究の課題が何か、ということを整理する必要がある。

国際教育協力の論文をどう位置づけ、研究していくべきかについて、学ぶことができた。

【KUFS】なぜ、それを学ぶのか 学習の意義→課題の選定

今日の情報技術の実践の授業では、事例ベースの課題にした。なるべく将来使いそうな機能をと、事例を選別したのだが、学生からの振り返りに「フィルタや並び替えは先生だったら使いそうだけど、将来使いそうにない」といった意見があった。
実際、フィルタも並び替えも会計処理や企業の書類作成でよく使われるものだけれど、彼らにとっては、authenticではなかった、ということだ。エクセルは、仕事でとてもよく使うソフトだかれど、大学1年生の彼らにとっては、何故それを学ぶのか、という意義が見出しにくいと思う。関数やグラフの使い方を学んでも、それが実際にどう役立つかという実感がもてないのだ。やはり、レポートを書くために、データを分析するといった課題じゃないと、こちらで事例を提示して、解決させるのは、合わないかな、と思った。来年は、調査→分析→レポートという流れをひとつにまとめて授業案を作ろう。

【KUFS】学生にとってauthenticな課題 エクセルの課題

初年時教育として実施している情報技術の実践では、エクセルの基本操作について扱う。これまでの課題は、なるべく学生のニーズや関心に合わせたものにし、目的達成のためにコンピュータを使えるようにしてきたが、エクセルはなかなか課題を出すのが難しい。統計データを持ってきて分析させ、それを考察させるか、それとも、自分たちでアンケートを作らせて、データ分析させて、考察するか。いずれにせよ、2回の授業でカバーできる内容ではない。
そこで、明日の課題は、事例ベースの課題にすることにした。複数の事例を出して、それを関数を用いて計算させるというものである。しかし、企業で働いた事がない学生にとって、経理のための計算や予定表を作らせたりすることがどれほどauthenticか、というと頭が痛い。事例は、グループで取り組むようにさせよう。前回は個別で作業をさせたが、はやり進度に差があった。かなり簡単な課題だったが、時間がかかる学生は、授業中に終了できなかった。グループ活動を好まない学生も中にはいるので、最後は個別にしようと思ったが,はやりグループで取り組むデザインにしたほうがいいかもしれない。

日本教育メディア学会参加

 国際会議のあとに引き続き、日本教育メディア学会が実施された。今回は、共同研究者の三宅先生が発表予定だったが、休みがとれなかったため、私が発表することになった。タイトルは、「ルーブリックに方向づけられた児童の思考活動」である。これは、2008年に三宅先生の授業をフィールドとして研究していたものである。文部科学省は、思考力育成の重要性を明記する一方、教育現場で「どのように思考力を育てるのか」ということについては、具体的な方略を示していない。その方法のひとつとしてシンキング・ツールや思考ルーブリックを開発、実践研究をしてきたわけだが、その研究の一部を発表した。多くの視聴者に関心を持ってもらえたことを鑑みると、やはり、現場の教員も研究者も思考力育成に関心があるのだと思う。今後も、この研究については力をいれてきたい。
 この学会では、web2.0に関する研究発表も行った。これは、共同研究者である関西大学大学院の吉田さんと薮内君が発表した。内容については、特に質問はなかったが、研究方法については、質問があった。当事者が自らの実践を研究者と一緒に研究するという是非について今後議論していく必要があるが、私は、この研究手法については、かなり独創性があり、新しい研究方法として提示できるのではないかと思う。「集合的エスノグラフィー」という言葉を上野先生と箕浦先生がおっしゃっていたので、これをヒントに研究方法についての研究も進めていきたい。

Dr.J.Keller教授の最後の講演

ICOMEの特別講演は、Dr.J.Kellerによるものだった。ケラー先生は、動機付け理論のARCSモデルを開発した研究者であり、インストラクショナル・デザインの中でもっとも有名な研究者のひとりである。今年で大学を引退するということで、これが大学教授として最後の講演になる(かもしれない・・)という言葉から、講演がスタートした。
私も、多くの研究や教育実践の中で、ARCSモデルを参考にしてきた。学習に動機が必要不可欠であることは、BanduraやDeciなどがすでに述べているが、授業の中で如何に学習者に動機を持たせるかについてのモデルを提示したのは、ケラー先生の偉業である。彼が研究者としての人生を「動機」というキーワードとともにどのように送ってきたのか、ということを話してくれた。ウェジャー博士との出会い、妻との出会い、彼の軸はぶれることなく、「動機」という視点から学習をとらえ続け、その成果としてARCSモデルが生まれたのである。
彼の最後(かもしれない)の講演に感動し、さらに教育研究への意欲がわいた。同時に、自分がどの「軸」で生涯研究活動をしていきたいか、ということを考えるきっかけになった。
ケラー先生

International Conference for Media in Education参加

 13日、14日、15日の3日間、International Conference for Media in Educationが熊本で開催された。毎年この学会には必ず参加し、発表することにしている。この学会を通して、かなり多くの研究者と知り合うことができた。中には、漢陽大学の教育学部長のクォン先生や私が院生だったころから付き合いがあるシムヒョネさんなど、共同研究をすることになった先生方もいる。
 私が、発表した研究は、ミャンマーの教育大学における教師の専門的力量形成のための研修デザインについてである。発表後、韓国のAJOU UNIVERSITYの先生から、彼女の大学で講演をしてほしいと頼まれた。こういう機会を通して、世界に向けてネットワークを広げることができるので、やはり国際学会への参加は非常に意味があると思う。
 今回の発表では、eポートフォリオやLMS、ユビキタスラーニングに関する研究が多かった。しかし、どの研究もはやり、学生が自己調整しながら学習することをどう支援するか、ということに問題意識と関心があるようだった。eラーニングのための「学習理論」の構築が必要不可欠だというDr.Chen Liの話が関心深かった。

大学教育と自己調整学習

 今日は、京都大学のH君が執筆している論文について議論をした。テーマは、大学教育と自己調整学習である。
 自己調整学習には前々から関心があり、事例研究や理論研究を少しずつ読み進めている。彼の研究の視点は「大学教育において学生にどのように自己調整学習の力を身につけさせるのか」である。前提として、自己調整学習ができるようになるためには、特定のアウトカムがあり、そのアウトカムに合わせた手立てを提示するということになる。そこで疑問に思うのが、自己調整学習とは、「スキル」の問題か、ということである。学生が自ら自律的に学習するためには(つまり自己調整しながら学習するためには)、何を目指しているのか、何をしたいのか、何を望むのか、という「目標」と切り離して考えることはできない。「あれをやりたい!」「あの人のようになりたい」という具体的なイメージができれば、人はその時特別なスキルがなくても、自分で調整しながら、ひとから技術を盗んだり、本を読んだり、調べたりして学ぶのである。実際、本執筆のためのインタビューしている人らも、やりたいことを見つけてから自己調整学習が始まっていた。
 以上のような視点から、大学教育における自己調整学習を捉えると、スキルを教えるということだけではなく、どういう自分になりたいか、というアイデンティティの問題から考えることができる。もし、大学がアイデンティティ獲得のための環境を整えることができれば、これは非常に貴重な研究知見になると思った。
 H君の研究は、非常によく整理されていて、とても参考になった。特に自己調整学習をどう測定するかという部分のレビューは大変参考になった。

【KUFS】フラッシュ教材制作 教材研究

今日は、秋学期の授業「マルチメディアの制作」の授業のための教材研究を行った。フラッシュ教材制作をしていた同級生のK君と議論しながら、どういうテーマや素材を提供すべきかについて決めた。

フラッシュ教材制作 参考文献
フラッシュ道場 http://www2.netwave.or.jp/~light/
ALL ABOUT http://allabout.co.jp/gm/gl/8113/
Hakuhin’s homepate http://hakuhin.jp/

podcast配信 小学3年生の異文化理解教育

 今日は、関西大学初等部3年生の異文化理解の授業支援に入った。この授業をフィールドとして異文化理解教育に関する研究をしている。
 今日は、児童が交流相手のフィリピンの児童にビデオを撮影した。まだまだ英語の単語や文法が全然わからないが、自分の伝えたいことを教員に英語にしてもらうと、それをなんとか覚えて発音しようとする。中には、スクリプトを見ずに長い文章を覚えて話そうとする児童もいた。「これを伝えたい!」という強い思いか、それとも、何を作りことの楽しさからか、達成感を得たいからか、その理由は分からないけれど、児童のパフォーマンスにただただ感心した。
 児童が用意したスクリプトは異文化の他者を意識したものでは「まだ」ない。自分の目線で語っている。これが、交流を通してどう変化していくかが非常に興味深い。異文化コミュニケーションは、言葉の習得だけではなく、発する言葉、発せられる言葉の背景にあるものの理解が不可欠になる。中等教育以上の事例をもとに、生徒の異文化コミュニケーションや異文化理解の研究は進められているが、小学中学年を対象にしたものはほとんどないため、この実践も、この実践をもとにした研究知見も貴重なものとなるだろう。

大学の学びをデザインする ①

 大学で、学生は何を学べるのか。何を学ぶべきか。
 大学での学びは、授業を受けて、知識を得ることだけではない。大学というところは、初等・中等教育とは違った自発的な学習が可能なのである。自発的な学び、つまり、自ら関心や問題を同定し、それに向けて行動していくことが求められる。しかし、なかなか、「自分がやりたいこと」を見つけることが難しい。
 本当に自分のやりたい事や明確な将来像を持って大学に進学する学生はそれほど多くない。たいていの学生は、大学に進学してから、みんながやるように単位をとり、みんながやるようにバイトをしたりサークルに入り、みんながやるように就職活動し、卒業する。これが悪いといっているのでは決してない。私が強調したいのは、「私は本当に何がしたいのか?」ということを悩み、葛藤し、決意し、動いていくことが大事で、それができるのが大学なのだということだ。大学生になると学内外において様々な人と知り合うことができる。違う地域や国、年齢の違う人、関心や経験の違う人、、。こういう人たちとの出会いを通して、自分が何をしたいのか、何ができて、できないのか、どうなりたいのかを考えることができる。つまり、こういう風になりたい(逆にこういう風になりたくない)という思い、こうすればこれが可能なんだ、という実感、今自分が何をすべきか、そういうことを考える機会を得ることができる。では、そうやって学生時代に葛藤を感じ、考え、行動してきた人は、今どういう生き方をしているのだろうか。こういう問題意識から、現在指導教官と、自分の生き方を貫いている7名にインタビューをし、大学との学びとの関連で本を執筆中である。インタビューを通して、自分自身も大学での学びとはどうあるべきか、そのために自分はどうふるまうことができるかについて考えることができる。学ぶことが多い。

【KUFS】自律的な学習を支援、教材の配置に関する調査の依頼

 スペイン語のリスニングの授業において、学生が自律的に学習するように支援するためには、準備した教材をどう配置し、その利用を促すことができるか、と、スペイン語の先生から相談された。
 自律的な学習をキーワードに論文を検索すると、語学教育(第二言語や第三言語教育)を中心に多くの研究や事例が報告されていた。それだけ語学学習における自律的な学習支援に関心が集まっているということである。まずは、これらの研究や事例を整理して、調査を依頼された授業において、自律学習の促進要因、阻害要因を明らかにする。これらの知見や結果をもとに、具体案を提示していこうと思う。

国際教育協力に携わる人に必要な能力とは

  「国際教育協力に携わる人に必要な能力とは」というテーマで研究をしているという院生が、インタビューに来られた。彼女は、大阪教育大学で教育の視点から国際協力を分析したいと考え、このテーマを決めたのだという。インタビューをされながら、専門家に必要な能力とは何か、について意識的に考えるきっかけを得た。
 自分自身が専門家として国際協力に関わる中で、私が最も重要だと思う能力は、「チーム力」である。国際ボランティアをしているときは、「私ひとり」と現地の人とのかかわりだが、専門家の仕事は、国家レベル、地域レベルでかかわり、国の制度や教育システム(カリキュラムを含む)を変えることもあるため、責任が重い。こういう仕事はたいてい専門家ひとりがするのではなく、チームとなって行う。自分に何ができて、他者がどういう経験があり何に強みがあるのか、といったことを総合的に捉えて、チームとして最高のものを作り上げ、提供していくことが求められる。また、専門家が関わるプロジェクトは、大規模な予算がつくことがほとんどなので、マネージメントや経理などが不可欠である。こういった知識やスキルも求められるが、これらの知識やスキルは、教えられたからといって身につくものではない。国際協力独特のルールがあるため、現場で実際に働いてみないと分からないのである。しかし、そういう機会を経て専門家になる人はそれほど多くない。では、誰がそういう機会をどのように提供するのか。関心深い。

【KUFS】映像編集を通して、インタビューアーの言いたいことをまとめる

 KUFSの現代ゼミ活動を手伝っている。このゼミでは、戦争、広島原爆、被爆者をテーマに、取材活動を行っている。その活動のひとつとして、被爆者にインタビューをとり、それを15分にまとめて番組を作るというものがある。1時間以上あるインタビューデータから、彼女(被爆者)が一番いいたいことが何かを考え、番組を作る。その作業には、高次な思考が必要になる。なぜなら、彼女の主張を見つけ、その主張が論理的に展開されるように他の内容を組み合わせる必要があるからである。何が大切な部分で、どこは削れるか。これにはかなりの推敲が必要になる。本人ではない他者(学生)が、彼女の主張を的確に表現できるかを教員が指導し、番組を制作していた。
 私は技術的な支援をしていたが、学生が「この部分ってつながってる?」「この部分は、一番いいたいところじゃないの?」「ここは必要ないのでは?」といいながら映像を組み立てていくのをみて、非常に関心した。制作活動には、高次な思考力が必要となるため、思考力育成のための学習活動として、有効だと思った。

Informal educationの支援 パレスチナ ガザ地区

 国際交流基金に勤めている友人から連絡があった。パレスチナ ガザ地区の支援の一貫として、Informal educationのNGO団体に対する事業を考えているのである。
 ガザでは、2008年に軍事攻撃を受け、1400人を超える死者がで、さらに、大規模な建物の破壊があった。その後、封鎖も続き、ガザ地区のパレスチナ人は、かなりぎりぎりの生活を強いられている。私の友人も、破壊された家屋でも生活ができるようにと物資の提供や、外部支援が入らなくなっても自活できるように農業支援などをしているが、人々の生活はかなり不安定である。この不安定な生活の中で、子どもは学業に集中できず、機能していない学校も少なくないという。その一つに、何時間も続く停電や、教員のストライキなどがある。そこで、身体的にも精神的にも追いつめられたガザのパレスチナ人に何かできないか、と国際交流基金の友人が事業を立案している。
 Informal educationに着目したのは、非常におもしろい。informal educationでは、学校教育で重視されている知識,理解の習得ではなく、興味、関心を育て、個々の子どもの能力を育成することができる。私が関心がある地域と連携したcommunity learningもひとつのinformal educationである。私も、パレスチナ問題に関心があるので、何か手伝うことができればいいが、今の自分は何ができるか。社会貢献の視野もいれていこうと思う。

【KUFS】Learning by Doing

 映像メディアの制作の授業をみて、本当に関心する事が多い。学生は、作品を作る中で、様々な技術を学んでいる。私の授業では、編集に関する基礎的技術は教えるが、それ以外は、「やりながら学ぶ」ということを重視する。実際に進めていく中で、分からないことがでてくるだろう。そういった時、必要であればもちろん「教える」が、今はネットでほとんど検索ができるため、自分達で調べて解決するように促す。
 たとえば、調査をしたことをまとめるものが多いが、その調査の仕方についても、ウェブでアンケートをとる方法を自分達で探して実施したり、インターネット検索も、かなり工夫をして多角的に情報収集しようとしていた。やりながら、分からないことがあればそれを調べて解決し,学ぶというスタイルは、どういう問題が起こるか分からないため、教員としても準備がしにくいところもあるが、学生が「これを知りたい!」ということに焦点を絞ると、指導がしやすい。なぜなら、その技術を学ぶ意義をすでに認識しているし、モチベーションが高いからである。聞かれて「わからない」と内心どきっとすることも時々あるが、学生と一緒に教員も学ぶという授業は、とてもいいと思う。

オーストラリア ケリー小学校から 考えさせる学級

 高次思考力研究会でよく事例として参考にさせてもらっている先生が来日した。彼は、オーストラリアのメルボルンのケリー小学校の教員である。
 ケリー学校では、児童の思考力育成に重点をおき、1年生から子どもたちに、「自分の主張をもたせること」「他者の意見に関心をもつこと」「疑問を持つこと」を促している。そのための教材のひとつがシンキング・ツールなわけである。どう考えたらいいのか?ということを、図形で示すことで、子どもたちは、何をどう考えればいいかがわかる。はじめは、自分の意見に自信がもてなかった子どもも、こう考えればいいんだ!と思うと、自信を持つようになるらしい。高次な思考力には、もちろんその基盤となる基礎的な知識や経験が不可欠となるが、子どもたちは実に様々な体験をしているし、日々多様なことに関心を持ち気づいている。ただ、それをどう思考し、表現すれば分からないことがある。それを示すのが学校の役割だと彼は考えているということだ。
 また、彼が高次な思考力を育てるために大事なことは、「学級」つまり、コミュニティとしてのクラスという。考えることを楽しむ環境、考えることが意義のある環境、考えることが評価され、考えた事が役に立つと実感できる環境が非常に重要であり、それを実現するのは、「学級」というのである。考えることを「しんどい」「疲れる」「面倒だ」と思わせれば、どんなに知識や経験があり「考える方略」を知っていても、それを活用することはできないからである。私が日々思考研究において考えていることと、同様の意見を教師としての経験から話してくださり、とても参考になった。

Tech Steward は誰が?どのように?

来週発表の研究について、考察を深めるため、ウェブ上の共同体をどのように支援していくかについて、文献を読んでいる。特に関心があるのは、Digital Habitat (Wenger 2009)で、その中に「Tech Steward ((技術執事)」というタームがでてくる。Tech Stewardとは、実践共同体の状況を分析し、ウェブ上の学びの支援を同定し、実施していく。ウェブでの学習のニーズが高まり、実践も多く報告されているが、実際には、ウエブ上の学習が必ずしも成功しているとは言えない。その理由について、事例をもとに考察したのが、今回発表する研究である。しかし、「なぜそうなったのか」という部分についてもう少し推敲が必要な気がする。他の事例とも比較、検討しながら、考察したい。

大学での学びをどうデザインする? 学びを支援する文化 

大学1年生を対象とした授業をしながら、いつも思うのは、「高校生から大学生への変化」。「言われた事はできる、言われた事しかやらない、教員の指示を待つ、指示されたことをやる」、それが次第に、「自分から、これをやってみたい、将来役に立ちそうだから頑張ってみる」というようになってくる。これはもちろん一つの授業だけで意識が変わるのではなく、大学でサークルに入ったり、ボランティア活動をしたり、バイトをしたり、いろんなコミュニティに入ることで、気づいていくことなのだと思う。

「学びを支援する文化を育てる(山内 2010)」という言葉をみて、非常に共感できる。学校教育のような制度的な学習環境を研究し改善していく事も重要だが、自発的に学ぶ非公式な学習環境の整備も今後必要となる。つまり、生涯教育としての学習の場を整えていくことが求められている。山内先生は著書で「生涯学習と呼ばれているものの、具体的な支援の方策は十分ではに。情報課の進展に伴い、学的事項は爆発的に増加している。このような変化の激しい大量の知識を学校教育のような制度的な学習に吸収する事は難しい。今後ますます自発的な学びの重要性が高まるだろう」と述べている。授業という枠組みだけではなく、学びたいことを見つけたり、学んだことを活用したり、試してみたりするような場をどのように大学内に作っていくかを考えることも、おもしろいのかもしれない。

【KUFS】自律的学習をベースとした授業づくり

 今日は、自律的学習をベースとした授業実践を行っているスペイン語の授業に参与観察に入った。参与観察の目的は、学生の自律的な学習を支援するためにどういった教師の支援が必要かを提案するためである。
 自律的な学習を学生にさせるためには、教師のコントロールと学生の自由度のバランスが非常に重要になる。あまり自由にやらせすぎると、何をすればいいか分からなくなるし、あまりコントロールしすぎると、「やらされている」と思わせてしまう。また、評価についても、教師が評価をすると、評価待ち、指示待ちの姿勢になってしまうが、学生に自己評価させてしまうとメタ的に捉えることができず、適切に評価できないことがある。このバランスをどうとるか、という観点から提案するために、授業で観察したことを記録し(フィールドメモをとり)それをまとめて、分析し、改善点を示した。
 
 

フィジカルコンピューティングと創造教育

今日は、関西大学 総合情報学研究科で論文検討会を行った。今日の発表のうち、神奈川から来られたS先生の発表が非常に興味深かった。彼の研究は、フィジカルコンピューティングについてであった。フィジカルコンピュータとは、我々の日常生活に寄り添った身体的なコンピュータの在り方を模索する研究の動向らしい(私も初めて聞いた)。つまり、キーボードやマウスだけを使って表現するのではなく、様々な電子部品を使って、色、音、形を表現させることについて研究されているらしい。「大人の科学」でも、紹介されているということだ。
 このフィジカルコンピューティングにより、PERSONAL FABRICATIONが可能になる(詳細は、ニール 2006を参照)。ものづくりといえば、従来、大量生産、大量流通、大量消費であることに加え、消費者のニーズにあわせた複雑な製品が開発されてきた。そのため、開発されたものは、消費者にとってはBLOCK BOXになっている。一昔前までは、車や冷房機が故障すれば自分たちで修理したものだが、今では、製品がかなり複雑に作られているため、車両や電化製品が壊れたとしても、自分たちで修理することは困難である。しかし、このフィジカルコンピューティングの考えは、自分たちが創造したものをすぐに形として見せることができるため、独創性のあるものを開発することができる。コンピュータプログラムだけではなく、様々な電子部品を使って、ものの開発が可能になる。たとえば、電子ギターや音のなる階段など、自分たちでつくることができるのである。そういう試みをDo It Youself(DIY)といわれていたが、最近では、ひとりで作るのではなく、みんなでつくろうというコンセプトでDo It Together(DIT)ともいわれているそうだ。このように、専門的技術であったものが、オープンソースが普及、蔓延することで、一般的な技術として人々のものづくりを促すことになる可能性がある。
 数年前、英国からきた研究者アブリルさんの通訳をしていた時、イギリスでは、創造教育の推進を国家的に進めており、コンピュータ技術を用いたものづくりが盛んであることを知った。日本は、学校教育における創造教育はおくれをとっているように思ったが、このように、子どもたちがプログラムや電子部品を作って、ものづくりができるような研究が進めれていることを知って感動した。私も研究の視点に「創造性」というキーワードを入れて、考えていきたいと思う。

参考文献 ニール・ガーシェンフェルド (2006) ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け.ソフトバンククリエイティブ