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ケベックシティ@カナダ 3日目 (ISCAR学会 2日目)

今日も8時半のスタート。

ロゴフ先生に続き、活動理論のエンゲストローム先生、文化心理学のマイケルコール先生など、私が院生の頃に学んだ著名な先生方がたくさん参加。おおお

参加したセッションも大変興味深く、前提となる哲学についての理解、心理学の用語(Minding, Self, Identity, transformative, development, learning, autonomous, subjectivityなど)の多角的な検討、方法論についての批判的かつ発展的議論ができて面白かったです。ヴィゴツキーについてのセッションが多く、私は日本語訳でしか読んだことがなかったので、英語が示す単語がどの訳語か一致するのにちょっと戸惑ったので、ヴィゴツキーの著書は英語でも抑えておこうと思いました。

ご機嫌で学会に参加していたけれど、日本から急ぎの書類作成の依頼があり、今日の最後のセッションを抜け、懇親会もいかず、書類作成(涙)。

社会文化的アプローチのSTARが集まる学会なのに・・・と、極めて残念だけれど、仕方がないことは仕方がない。今できることをやることをやります。

ホテルに篭っていたけど、気分を変えて町のカフェへ。どうせなら、いい環境で仕事します。01

トロント@カナダ 3日目

今日の午後は、アラブ・コミュニティ・センターの活動を視察(参加)させていただきました。カナダでは、移民・難民の人たちが、カナダ文化に「統合(Assumilation)」ではなく、自分たちの文化を大切に守りつつ、カナダの文化と相互に交流して生活できる社会づくり(Multicultural society)」のポリシーで様々な活動が行われています。

とはいっても、自国を離れ、自国の文化を知らずにそだった子どもたちも多い。シリア人だって同じで、シリア危機が始まって7年。幼い頃にカナダにきた子どもたちは自国の文化を感じれるのは家族以外ほとんどない。そこで、上述したポリシーのもと、民間団体やNGO、任意団体などが、異国の土地でも自分たちの文化を維持し、他文化と交流し、交流を通して自国の文化を感じ、誇りに思える機会を作っています。

アラブ・コミュニティ・センターもそのひとつで、今日は、シリア人が集まって食事、歌、ダンス、子どもむけのワークショップを行い、そこにカナダ人や他の移民も招待して、一緒に過ごして文化交流をしていました。

ヨーク大学のアハマド先生に教えてもらい、ラーミーさんの家族と一緒に参加させてもらいました。まさに、(このイベントの参加者として参加できたので、違和感なくたくさんの人の話が聞けました)

トロント郊外の大きな公園にシリア人らしく人たちがいっぱい集まってる。この光景だけでテンションがあがります。私たちがそこにつくと、すぐにいろんな人が声をかけてきてくれ、welcomingしてくれました。そして、食事やスイート、飲み物を分けてくれて、おしゃべりしたり、歌ったり、踊ったり。子どもたち向けに顔ペイントのアクティビティなどもあり。もう子どもたちがかわいい

このイベントをオーガナイズしたアラブ・コミュニティ・センターのExcective Directorフダさんと、内戦のトラウマケアを専門としているラウラさんにいろいろ話を聞くことができました。こういうった活動を組織する上での考慮点などを聞けてとても参考になりました。また、みんなが次々に誰かを紹介してくれるので、いろんな人と話をすることができました(笑)

この活動は、みんながAll Starになれるようにうまくデザインされていました。食事はシリア人の女性たちが中心になって作ってる。シリア人の女性は料理が好きでそして上手。彼らが作ったものをたくさんの人に食べてもらい喜んでもらえるというのは、彼女たちにとってとても嬉しいこと。歌も踊りも、参加者が言い出してはじまる。ダプケ(シリアの伝統的な踊り)も、やり方がわからない人を舞台(輪の中)に巻き込んで、手を取り、一緒に動きながら、完成させていく。顔にペイントした子どもたちがいろんな人の前にでて、「素敵だね」と褒めてもらえる。男性も女性も子どもたちもなんらかの形で活動に関わり、何かgiivingできるようになっているのがほんといいなって思った。

こうやって暖かいコミュニティの中でみんなが本当の笑顔を取り戻せたらいいな。インシャッラー。

★写真は、20年くらい前にイギリスで一緒に学んだ旧友のあかり。ちょうど日本からトロントへ戻ってきたところで、タイミングよく再会!あかりとの再会はいつも突然で、いつも幸せで満たされる。今日のアラブ・コミュニティ・センターの活動に参加して、一緒にピクニックを楽しめました。あかり、会えて本当に嬉しかった!

★写真は、アリーの家のグレードデン、ペルー。夕方7時にアリーと合流、話はじめたら止まらなくて終電を逃し、市内から1時間もかかるホテルまで送ってもらっちゃいました。アリーの家で車をピックアップした時におうちにお邪魔して、ペルーと初対面。もう私、ペルーにメロメロです。

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ガザで出会ったTさんと再会

この1ヶ月は、国際教育協力関係の方たちと意見交換したり、話を聞いたり、議論したり、計画したり、実践を評価したりする機会がとても多かった。私にできること、私がやりたいこと、これからできるようになりたいことなどがはっきりして、嬉しい。

さらに嬉しいことは、その中で、2005年にガザ地区@パレスチナでお世話になったTくんと再会。嬉しすぎる!!!

以前、あるNPOの活動として、ガザ地区の聾唖者のためのビデオ教材を制作したことがあった。

2002年からずっとパレスチナ人と一緒に仕事をしてきたので、一度はパレスチナ(イスラエル)に行ってみたいと思っていた。当時、パレスチナ(特にガザ地区は)イスラエル人入植者の問題で治安が不安定だったので、少しは迷ったけれど(少しね)、やっぱり、行きたい気持ちが強くなり、ヨルダンのキングフセイン経由でパレスチナ(イスラエル)へ。

当時、私はアラビア語が抜群にできたので、すごく楽しかった。
国境を越えて、エルサレムに向かうバスの中で、あるパレスチナ人にぼそっと「私たちの国、パレスチナへようこそ」といわれ、そのつぶややきにアラビア語で返事をした時の彼らの反応^^ バスに乗っていたパレスチナ人たちと一気に目があって、おしゃべりできたときのお互いの高揚感。忘れられません。

私のアラビア語はシリア方言(フスハに近い)だけど、パレスチナ方言も結構まざっているので(わざと使ってみたり)、またそれが彼らにとってストライクだったようです。

パレスチナに帰りたくても帰ることができない多くのパレスチナ難民の同僚や友人の気持ちを知っていただけにパレスチナに行った時は何もかもが感慨深かったです。

当時(2002年くらい)は少しずつインターネットが使えるようになっていた頃で、「私の出身地のタントゥーラの写真を見せくれよ」「祖父たちはここに住んでいたのか」なんてネットにある写真をみながら祖国を思い浮かべていた彼らを見て、とても複雑な思いでいっぱいになったのを覚えています。

ガザ地区の聾唖者のための教材制作というミッションもとても興味深かったし、その制作のプロセスでガザが抱えている様々な社会問題について知れたこともすごく貴重だった。

私にとっては特別な時間と経験を一緒に過ごしてくれたTくんと再会することで、かつての記憶を思い出す以上に何か大切なことを思い出しました。

何となくいろいろ疲れた頃に、初心に戻る機会を与えられることに感謝感謝。新しく出会った多くの人とも、また新しいことにチャレンジできればいいな、と思います。

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UNRWAで研究調査②

20日(水曜日)も、とても忙しい一日でした。午前は、調査研究のための朝8時にはUNRWAフィールドオフィスに到着。UNRWAでの調査研究では、7人の教育専門家が協力してくれました。中には、私がシリアのUNRWAにいた時(8年以上前)に知り合った専門家もいて、覚えてくれていたのがとても嬉しい!
★調査研究「日本の映像コンテンツを活用した途上国における教育支援の可能性」については、今年度中に論文等で発表します^^

日本で開発された映像コンテンツの質はとても高いので、これらのコンテンツが、中東の教育現場で活用されるのであればすごく嬉しい。小学3年生の映像コンテンツを見てもらい、学校のカリキュラムと合うのか、映像を活用して先生が指導案を作ることはできるのかなどの項目についてひとりひとり意見を聞くと同時に、意見に違いがあれば議論してもらい、その理由を明らかにしてもらいました。ヨルダンでは、アルジャジーラが提供する映像コンテンツを使った授業(アラビア語など)も見られるようになったし、映像コンテンツを使った授業開発が進めば、日本の映像コンテンツもきっと役に立つと思います。

ディスカッションの中で特に面白いと思ったアイデアがありました。それは、この映像コンテンツをガザの教育支援に使いたいというものでした。ガザの子どもたちは、絶対的に経験が不足しています。隔離壁の中に閉じ込められて生活の中で、彼らが学校で学ぶ知識は、実生活や実体験と結びつける事が難しく、結果として暗記中心の学習になってしまいます。映像メディアは、間接経験を提供することができるため、意味も分からず教科書を暗記するような学習ではなく、映像によって提供される世界と関連づけて教科書で知を探求できる・・かもしれない。

実際、映像を使って授業をするためには、教師の力量が非常に重要となってくるので、映像コンテンツを提供すれば、いい授業ができるかといったらそうではありません。でも、ガザの子どもをはじめ、行動範囲を制限されることから知を探求するための十分な経験ができない子どもにとっては、とても有効なツールになるんじゃないかな。今後映像コンテンツの提供が決まれば、それをどう使っていくかについてUNRWAと共同研究をしていきたいな。

そうなったら日本の小学校の先生!
是非いろいろみなさんの知見をシェアしてください^^

写真は、調査研究に協力してくれたUNRWAの教育専門家たち

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やさしいシリア人@ヨルダン

19日(火曜日)、UNRWAでの打ち合わせを終えた後、思い立って、アンマン郊外のマダバに行くことにした。夕方3時半からアンマン郊外に行くなんて、無理かな、、と思ったけれど、できるかどうかじゃなくて、できなくても「今」を大切にしなくちゃいけない!と判断し、強行した。コトの発端は、カマルの家での前日の夕食後の会話だった。「今の生活に心から感謝している。家族がそろってヨルダンで安心して生活ができていること、ここにいる家族とシリアにいる家族を支えるためための収入があること。感謝しても不満なことは何も無い。ただ、子ども達は未来を描くことができず、退屈している(今を楽しんで生活できていない)。」とカマルが言った。

それは私が子どもたちに、不適切な質問をしたことへの応えだった。
「将来どうしたい?」
何気ない会話のはずだった。でも、あの子たちはそれに応えられない。それを実現する方法を今持っていないのに、それにどう応えられるのか。

上記の会話は、子どもたちが「いつか日本に行きたい」「日本で勉強してみたい」といった話となり、穏やかに過ごせたけれど、私の中では、モヤモヤしたものとなった。

そこで思いついたのは、「一緒に旅行する」ということ。カマルの家族に「楽しみ」や「今を楽しめる時間」をプレゼントしたいと思った。とはいうものの、時間がとれるのは、急にカマルも仕事を休めないので翌日の仕事終わりの時間(3時以降)。それに、カマル達が郊外に出ることは簡単なことじゃない。彼らはシリアからきたパレスチナ難民。そのため、ヨルダンにいるパレスチナ難民とは違い様々な制限がある。つまり、アンマン郊外に出る許可が必要なのだ。

翌日。カマルたちがアンマン郊外に出る許可は取れた。仕事が終わってから行ける旅行は、2時間くらい離れた場所が限界。そこでマダバにいくことになった。

しかし当日に手配できる車はそうそうない。ミニバスは手配できなかったのでタクシーを2台使って移動することになったけれど、2台のタクシーが一緒に移動するのは簡単なことじゃない。

そこで、ラドワンのお兄さん(ジャマル)に相談したところ、友人とその友人を紹介してくれ、車を手配してくれた。

助けてくれたのはシェフワーダハとコダイバ。午後1時くらいに相談したにもかかわらず、午後3時半には車を手配して迎えにきてくれた。

二人の協力のもとマダバを訪問。シェフワーダハとコダイバは、せっかくなので、とマダバから30分のところにあるモーゼの終焉の土地(ネボ山)とさらに40分ほど離れた死海にも連れて行ってくれた。

子どもたちは大喜び。カマルも奥さんもとっても喜んでくれていた。嬉しい!

シェフワーダハとコダイバの心遣いに、みんなとても素敵な時間を過ごせた。シェアフワーダハには私は1度しかあってないし、コダイバは、友だちのお兄さんの友だちの友だちで私は会った事もないにも関わらず、みんなが楽しく過ごせるようにとても気配りをしてくた。

アンマンに帰ったのは、午後9時。シェフワーダハたちに本来かかるはずだったタクシー代を払おうとすると、受け取ってくれない。「困ったことがあればなんでも助けると以前いっただろう?」とシェフワーダハ。

そう、シェフワーダハは、両親を失ったシリアの孤児たちの里親を捜したり、子どもたちが慣れない土地(ヨルダン)でちゃんと生活ができるように支援をしたため、前回の訪問の際、妹たちが預けてくれた子ども服を渡したくて一度だけ会った事がある。その時の約束を覚えて、今日は私の急なお願いに応えてくれたのだ。

そう、シリア人ってそういう人たちなんです。こういうやさしさにどれだけ今まで救われてきたことか。

幸せな笑顔と暖かい優しさをたくさんもらって、とても幸せな一日を過ごすことができました。

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UNRWAで研究調査@ヨルダン

19日(火曜日)はUNRWAで調査研究の事前準備。カマルとムハンマッドさんに調査研究の概要を説明して、研究方法の手続きについて共有し、翌日(明日)に実施することになりました。ちょうど、カマルの紹介で、Health ProgrammeのディレクターSさん(日本人)のお話を聞かせてもらうことができました。アポなしの面会にもかかわらず、歓迎していただき、シリアの状況、ガザの状況について詳しく教えていただきました。少しだけ聞いたお話をシェアしたいと思います。Sさんはシリアにいくため2年もの間ビザ申請をして3日間だけシリアのビザを取得でき、最近、シリアに入国されました。アブロマーネなどダマスカス市内の一部では、普通の日常の生活のように見えるけれど、遠方では空爆の音が聞こえてくるそうです。

一方、ヤルムークなどの地域では、今でも戦闘状態が続き、人の出入りがほとんどできません。幸運にもヤルムークから逃げてくることができた女性の話によると、ヤルムークの中は、「地獄よりひどい」そうです。

彼女は、夫を失い、3人の子どもと一緒にヤルムークで生活をしていたけれど、食料も飲料水も手に入らず苦しい生活をしていました。ヤルムークの様子を伝えるメディアが「食料がなく、犬や猫を食べる人もいた」と報道していたが、それも本当にあったほどひどい飢餓状態が続いていたそうです(注)。彼女の一番下の子どもがこのままでは死んでしまうと判断した彼女は、決死の思いでヤルムークを出る事にしました。

ヤルムークから出るには、2つのチェックポイントを通過しなければいけません。まずはじめに、自由シリア軍のチェックポイント。もう死にかけの子どもを抱いた女性を見た兵士は彼女を無条件でチェックポイントを通過させました。その数百メートルあとには政府軍のチェックポイント。ここでも、兵士達が彼女と死にかけた子どもをみて、彼女にチェックポイントを通過させました。その時、兵士たちは、自分たちが持っている食べ物をかき集めて、彼女と彼女の子どもに渡しました。彼女の子どもは、それらの食べ物をみて、すぐにパンに手を伸ばしました。他にも食べるものがあるにもかかわらず、パンだけ食べたそうです。

兵士が、「他にも食べるものがあるのに、何故パンだけ食べるんだ?」とその子に聞くと、「ずっとパンを食べれることを夢みていたから」というのです。

(注)ヤルムークは飢餓で苦しむ人が多い中、お金がある人は食べ物を手に入れることができるそうです。また自由シリア軍に入れば食料が与えられるといった交渉などもあり、お金もなく、また軍に入りたくない人たちは、彼女のように餓えを選ぶしかない状況だそうです。

最近では、完全に閉鎖され、孤立していたヤルムークですが、UNによって食料も医療品も少しは届けられるようにあったそうです。

詳細はコチラ:
http://www.unrwa.org/newsroom/emergency-reports/syria-regional-crisis-response-update-77

しかし、状況がまだ最悪なのは変わりありません。中にいる人は外に出ることもできず、様々な葛藤の中で生きています。

Sさんの話で一番印象深かったのは、「彼らが一番辛いのは、未来が見えず、希望が持てないこと」といった言葉です。この言葉、実は、ヨルダンにいるシリア難民たちからよく聞く言葉でした。

「餓えは苦しいし、空爆や銃撃戦は怖い。家族や友人が殺されたり、傷ついたりすることは辛すぎる。辛いのはそれだけじゃない。未来が見えないことは本当に辛い。」と。

食料や医療、衣服などの支援ももちろん必要不可欠ですが、彼らが抱えている問題は物質的なものの不足だけではありません。暗闇の中を足下が全く見えないまま歩き続ける。それがずっと続く。何も見えない。こんな絶望の中で生きている彼らに少しでも希望を持てるように自分は何ができるのだろうかと考えました。

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ワークショップ@ヨルダン

今年の3月から、シリア支援をしているヨルダンの青年ら(シリア人、パレスチナ人、イラク人など)と協働で、シリアの難民支援の環をひろげることを目的としたプロジェクトに取り組んでいる。日本にはシリアをはじめ中東の問題のために何かしたいと思っている人たちが多くいる。私もその一人だった。しかし、何かしたいと思っても何をすればいいか、何が必要とされているかの情報が十分にない。日本の友人たちに「何かできることがあったら言ってね」といわれるけれど、なかなかそれをうまく伝えられずにいた。
一方、ヨルダンでは、シリア難民支援をしているボランティアの人たちは、様々な支援を必要としている。

ひとつは金銭的な支援。彼らは自分たちの時間やお金を費やしてボランティア活動をしている。たとえば、ある女性は、精神的なトラウマや学校にいくための高額な費用のため学校にいけなくなったシリアの子どもたちに、自らの財産を使って学校をひらき、教育の場を提供している。最初の頃は、みんな持っているものを持ち合わせて、みんなで助け合っていこう活動をはじめてきたが、長引く内戦、ふえ続ける難民に対応していくことが難しくなってきている。一緒に活動している人の中には、「私の時間や経験を使ってシリア難民を助けたい。ボランティアで活動するけど、そこにいくための交通費を私はまかなうことができない。」という悩みがある。日本には、大きな額の金銭的支援はできなくても、彼がボランティア活動をするための交通費なら出せるという人がいるかもしれない。

また、経験的な支援も必要とされている。一緒に活動しているラハフは、「精神的なトラウマを持った子どもたちにどう教えたら良いのか。これまでのシリアの教育のように、教師中心の授業方法では、授業がうまくいかない」と悩みを持っていた。これに応えられる日本の教育関係者は多くいる。また、負傷したシリア人女性たちに生きる希望と自ら生計を立てられるように支援しているバトゥールは、「どうすれば、売れる商品が作れるのか」と悩んでいる。シリア支援をしたいといってくれた友人の中に、デザイナーさんは確かいたはず。

さらに、物資の支援も必要とされている。学校では文具が不足している。幼稚園では子どもたちが安全に遊べる教具が不足している。日本には、使わなくなった文具やぬいぐるみやおもちゃなど使っていないものがあるのではないでしょうか。そういった現地のニーズにあった物資の支援も求められている。

こういう現地でのニーズに合わせた形でシリア難民支援の環を広げようと、大学教員、学生、企業、NGO/NPOなど様々な背景や経験を持った人が集まり、プロジェクトを立ち上げました。

詳細はコチラ:https://readyfor.jp/projects/syria_refugee_film

たとえば、
・プロジェクトのコーディネータで特にヨルダンとの連携をしてくれているまさ@サダーカ。
・現地での取材・撮影を担当してくれ、さらに映像編集の中心的役割を担ってくれているさおりさん@サダーカ。
・プロジェクトのための資金収集のためにクラウドファンディングの窓口をしてくれ、さらに全体の進捗状況のモニタリングをしているゆきちゃん。
・活動に必要なすべての技術的支援をしてくれている今野先生@明星大。
・ウェブ制作を担当してくれてる千穂@NPO FiLC。
・映像の構成や質向上のアドバイザーになってくれているはるえ@映画プロデューサー。
・イベントや広報の協力、また映像制作を担当してくれている学生のみさこちゃん@東京外国語大学、田中君&茂木さん@東京大学、今関さん@学生団体S.A.L.、山口さん@ICU、山口君@明治大学、浅井さん@明治学院大学
・シリアの情報提供、アラビア語翻訳をしてくれているラドワン。
・映像編集の技術的支援をしてくれている古川さん@JICA

そして私の担当は、日本側のプロジェクトのコーディネートと、インターネットを活用して日本とヨルダンをつないで協働で映像制作をするための学習環境を整えること。海外との交流学習をずっと実践、研究してきたので、このような問題解決に向けて研究の知見を活用できるのはとても嬉しい。

18日(月)は、ヨルダン側のメンバーに、インターネットを活用して協働で映像制作をする方法について説明し、ストーリーラインを考えたり、映像にインサートする写真や動画について話し合ったりした。

どういう映像ができるかが楽しみだし、この映像を通して支援の環が広がればとても嬉しい。自分の研究が、社会問題解決につながるきっかけになると思うと、すごくやる気がでてくるし、もっともっと研究をして、もっともっと力をつけなくちゃって思う。

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ヨルダン出張 8月15日〜24日

ヨルダンに来て4日目を迎えた。

UNRWAで働いていた頃の同僚(Kamal Jabr)や一緒にシリア難民支援をしている人たちの映像制作をしている仲間たちに会い、とても嬉しかった。同時に彼らから聞く近況は、辛く悲しいことが多い。

あの場所に行けばいつも会えたはずの人たちが、そこにいなくなっていく、という現実が悲しい。殺されてしまった友人、逮捕された友人、難民として他国へ避難した友人。行方が分からない友人。

あの場所は私の居場所だった。大好な友人達がいる場所だった。その友人達がいなくなってしまったその場所に、私の居場所は残るのだろうか。

中東では、シリア危機に加えて、ガザやイラクの問題もある。ヨルダンは平和で安定している(ようにみえる)が、ここから北に3時間、西に3時間、東に3時間以内のところで人々が苦しんでいる。日本にいる時よりも、この現実が突き立てられ、目を背けたくなる。

今回もまた、たくさんの話を聞いた。それを「伝えなきゃ」と思うけれど、書くためには、聞いたことをいったん自分の中でイメージしなきゃいけない。それが辛くて、なかなか書けない。

「本当に怖い」「不安でたまらない」と涙を流す友人たちのことを、どう表現(書く)ことができようか。ただただ、一緒に泣きたくなる。

どうかこの土地にも平和と安定が来ますように。

※写真は、ジャスミンの花。この時期、ダマスカスの町にはたくさんのジャスミンの花が咲いていた。私はジャスミンの香りが大好き。この花は、私に幸せな時のシリアを思い出させてくれる。
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「映画からみるシリア難民問題と支援の環(تطوير تعاوننا لدعم أصدقاء سورية )」お知らせ

とうとう「映画からみるシリア難民問題と支援の環(تطوير تعاوننا لدعم أصدقاء سورية )」が今週末(6月21日土曜日@明治大学中野キャンパス)となりました。中野経済新聞にもイベントについて掲載いただきました!http://nakano.keizai.biz/headline/479/2部のワークショップは、定員まであと数名ですが、
1部の映画については、まだまだ申し込みいただけますので、
是非、明治大学中野キャンパスまで足を運び、
シリアの状況について、一緒に感じ、考えましょう!

申し込みはコチラ:https://www.hric.jp/apply

【参考ビデオ】

※A Day in the Life Za’atari Episode 7 The trouble with kids

http://www.youtube.com/watch?v=gHaIene1GRI&feature=youtu.be

※UNHCRが発信する「世界難民の日」にむけての映像

http://stories.unhcr.org/jp/

 

 

5/23 クラウドを通したネットワークの広がり

先日、「〜東北からシリアへ〜シリア難民支援プロジェクト「こごさいるでば」」のクラウドファンディングを成功させたまいちゃんと会った。ちょうど私が関わっている気仙沼の仮設住宅でも、衣服などの支援物資が残っているので、これを難民の人たちに使ってほしいという話題がでたからだ。実際に、まいちゃんたちがどのように陸前高田の物資をトルコのシリア難民に届けたのか、詳しい話を聞いた。

https://www.makuake.com/project/kogosairudeba/

シリア支援の環のひろがり

先日(5月9日)に報道ステーションで、ジャーナリスト後藤健二氏によるシリアのニュースが報道されていました。来月3日に大統領選があり、アサド大統領の再選が確実とされている中、シリア国内では反体制派が巻き返しを図り状況が増々悪化する可能性があるとのこと・・。先が見えない不安。終わりが見えない内戦。このニュースを、周辺国に逃げたシリア難民の人たちはどう見えているんだろうか。長引く内戦の中、私を含め「なんとかしなきゃ」といって動きだしていた人たちがつながって、今、シリア難民支援として活動をしています。

そのひとつとして、難民の日に合わせ、6月21日(土曜日)にシリア問題そしてシリア難民について考えるイベントを実施します。詳細は、月末にはアップしますが、シリア問題について少しでも関心を持っていらっしゃる方は、是非是非6月21日(土曜日)午後1時〜5時の間、お時間つくって明治大学中野キャンパスにいらしてください!
(詳細は、後日アップしますので、時間あけててください^^)

このイベントはシリアの問題に対して「なんとかしなきゃ」と思い、動いている人たち&団体と一緒に創っています。複雑なこのシリア問題への捉え方、関わり方は多様です。その多様さを知ってもらう中で、問題について多角的な観点から捉え、様々な解決アプローチについて知ってもらえるきっかけとなると思います。

写真は、一緒に活動している仲間たち(一部)

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<セネガル出張10日目>

3月14日の今日、16時間かけてロンドンに戻ります。やり残した研究調査を1日だけ終わらせて、16日の便で帰国。それにしても、16時間って長い、、、。

学び多い10日間。あやこ、千穂をはじめ、お世話になってみなさんに心から感謝です。調査したことをまとめることで、JICA&大学連携のプログラム開発に貢献したいと思います。

写真:ホテルの近くのマルシェ。ここのマッフェとヤッフェが驚くほどおいしかった。

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<セネガル出張8日目&9日目>

3月13日は本プログラムに参加した短期ボランティアの成果報告の発表。帰国隊員の発表のあとに発表するということで、前半の帰国隊員の発表も聞かせてもらった。

やっぱり現地で長期間活動している人の話は面白いね。現地のの状況をよく理解した上で活動されていると思った。

たとえば、小学校教諭の隊員さんの話。
セネガルの学校で音楽の時間をどう意味づけて実践するか。
日本の小学校では当たり前のように音楽の授業があるので、セネガルでも同じように音楽の授業を取り入れて実践すればいいというわけではない。
なぜ、セネガルで音楽の授業をするのか、という問い。
彼女が出した答えは、次のふたつ。
ひとつは、解放。
子どもたちはフランス語での授業にストレスを感じている。そんため、現地語であるヴォルフ語で歌う時間をもつことでそのストレスから解放させる(英国の小学校でも、Occupationからの解放みたいな概念があって、子どもたちたちを時折リラックスさせれるような工夫をしていた)
もうひとつは、主要科目で苦手な子供への活躍の場として。

異文化の中で、自分の文化にあったものを押し付けるのではなく、一緒に活動とその意味を作り出して行くってほんと大事。

関西大学の短期ボランティアの発表もとてもよかった。ここで報告されたこと、活動で参与観察したこと、インタビューしたことはデータ分析して、近日中になんかの形でまとめて発表します。

JICAでの報告会のあとは、ダカールから船で30分ほどのところにあるゴレ島へ行った。南フランスをイメージする素敵な場所。かつては奴隷の売買が行われていた島。奴隷の歴史について、学び直したいと思った。「今」は歴史の延長線にある。関心をもったセネガルの今をもっと知りたいので、歴史についてもより多く知りたい。

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<セネガル出張5日目&6日目&7日目>

保健イベント終了後の10日、11日の2日間は、体調の管理、関係者へのお礼挨拶、村訪問、イベントの振り返りをした。振り返りでは、参加した短期ボランティアと受け入れ隊員に成果と課題、提案についてそれぞれ話を聞いた。改めて事前準備や学習支援を整えればよりよい実践ができると実感。

3月12日は、タンバからダカールへ移動。同じく車で10時間の移動。途中、ファティックで東大から短期ボランティアを受け入れている体育隊員のところでインタビューをさせてもらいに立ち寄った。いろんな形のJICA&大学連携があると思ったし、可能性と同時に今後検討して行く課題もいろいろ分かった。

写真は、訪問した村のこどもたち。

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<セネガル出張4日目>

〜異文化協働の楽しさと難しさ〜

今日は母子保健のイベントの日。
日本人とセネガル人の異文化協働の集大成だ。タンバの青年団(20人くらい?)と協力隊、短期ボランティア隊員、大学連携で参加している学生など日本人(16名)による大イベント。

朝、9時前に会場に集まり準備を始めた。
会場にはすでにイベント用のテントがはられ、椅子が準備されていた。
昨日の夜にはなかったものなので、私たちより早くにセネガル人が準備してくれたのだろうか。会場が設置されると「本番」という感じがする。

この国ではひとりひとり挨拶する。なんで、朝の挨拶はとっても時間がかかる。セネガル人スタッフ数✖️日本人スタッフ数✖️挨拶時間の時間。こういう時間を想定して時間の調整が必要なんだなぁ、と思った。

前半は、ポスターセッションとワークショップ。
ポスターセッションは、5セッション。来場してくれた人は、自分の関心のあるところに行って話を聞く。とても興味深く話を聞いてくれていた。
ワークショップは、子ども向け、男性向け、女性向けの3つ。子ども向けは、位田くん、女性向けは、ジョー、男性向けは、千穂が担当し、それぞれとても盛り上がっていた。

後半は、4時半からの予定だったが、実際はじまったのは6時半。誰からも文句がでないどころか、6時半くらいになって人が集まったので、これを予測して4時半開始の予定をしていたのかしら。異文化協働では、時間の感覚を共有して実践するのが大切だと実感。

タンバの青年団と日本人ボランティアによる寸劇がはじまった。2組の夫婦が主人公で、どちらの妻の妊婦。ひとつの妊婦(千穂)は病院に行きたくても、夫(チョバさん)が「伝統薬でものんでろ」「お金がないので病院にはいかせられない」「まじないのところにいってこい」という。もうひとりの夫婦では、夫(イブさん)の理解があり、妻(JOCV)病院に通わせてもらえている。典型的なタンバの夫婦の関係を劇で表現し、また、彼らの友人(ジョーや位田くん)や医者(あやこ)との日常的な会話をいれることで、来館者に自分たちの考えをメタ的に捉え直してもらうことが目的だ。来館者は始終寸劇に釘付けになっていた。現地語(ウォルフ語 一部プラール)での劇なので、日本人スタッフはこの日のために現地語でのセリフを覚えた。すごいことだと思った。(みんな、おつかれさま!)

その後は、音楽の余興があったり、踊りがあったり、村でのインタビュー映像の放映があったり盛りだくさんの内容が続き、夜10時くらいに終了した。

エネルギーが集結してはじけるようなそんな大盛況のイベントでした。こんな大きな異文化協働イベントを企画、組織したあやこ、ほんとおつかれさま!

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<セネガル出張1日目&2日目&3日目>

JICAと大学連携による教育プログラムの開発と評価のため、関西大学で実施している実践を調査するため、セネガルへ10日間出張に行ってきました。たった10日間だったけれど、とても学びの多い時間を過ごすことができました。

セネガル到着は、6日でホテルについたのは12時過ぎ。翌日早朝にタンバクンダへ車で移動。10時間の移動だったけれど、野球短期ボランティアの清水さんと寺島さん、久保田先生と話したり、移り変わる車窓の景色をみて楽しく時間を過ごせました。特にバウバオの木を見たときは感動!車をとめてもらってバウバオの木をすぐそばで見てきました。その大きさと存在感に感無量。

タンバ到着の翌日からフィールド調査。すでに4週間前から活動がはじまっており、翌日からの母子保健のイベントのための準備、リハーサルでみんな忙しいそうでした。合間合間に関係者に話を聞いて状況をキャッチアップ。いろんなことがおもしろそう。とても楽しくなってきた。

写真は、タンバクンダの町の様子。

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ヨルダン5日目

今日は、シリア難民の支援活動をしている団体をまわった。

午前は、街が壊滅したホムスやハマの人が集まり難民キャンプを作っている地域を訪問した。ここにいる多くのシリア難民は、合法的な方法で入国できず、そのため支援も十分に受けれないまま生活をしている。

この地域の生活をは厳しい。この日は、いつもより寒かった。テントの中もとても寒かった。電気と水が使えるのは、夕方から朝方まで。夜になったら少し離れた場所から水を運び、電気が使える時間にその日体を洗うためのお湯を作る。台所と洗面所をみせてもらった。洗面所は、水がたまった大き目のバケツに水を流した後一方向に流すため、厚めのビニールが下の敷いてあった。台所は、ガスのコンロと鍋とフライパンがあった。お皿は十分にないのか、フライパンのまま食べていた形跡があった。日々の食事は、ホブスというピタパン、ザータルという香辛料(パンにつけるふりかけみたいなもの)、卵焼き、サラダなどらしい。電気がないため、冷蔵や冷凍が必要なものは保存できない(この時期は寒いので大丈夫だろうけど、夏はとても暑いので衛生問題は深刻だろう)。

ハマ出身のお母さんと出会った。お茶を飲んでいきなさい、と誘ってくれた。こんな状況でもシリア人のやさしさに感動する。「シリアのお茶の作り方で作ったのよ、ヨルダンのお茶とは違うでしょう?」というお母さん。確かに!懐かしい味のお茶。このおうちにはキャンプの小学校に行っている子どもたちが3人、そして10代の女の子が3人いる。お母さんとお母さんの妹、そして3人の娘たちと少し話をした。見ただけでも、ギリギリの生活をしているのが分かる。こんな寒いのに彼女たちの服は十分じゃない。仕事はない。お母さんは仕事をすることは「禁止されている」といっていた。「近くの野菜工場で働けると聞いたけど?」と質問すると、「見つかれば、刑務所だから働きたくても働けない」といっていた。確かに許可がないとシリア人はヨルダンで働けない。許可をとるためには、合法的な入国であることが前提だし、申請をしたからといって許可がおりるわけじゃない。20件のうち1件許可出ればいいそうだ。許可なし仕事をしているところを見つかれば刑務所なのか、難民キャンプなのかどこに連れて行かれるかは分からないけれど、彼女たちは、働くことに対して不安を持っている。

それでも、「家族が一緒にいる。アルハムドゥリッラー(神様のおかげです)」とお母さんは言う。なんだかよくわからないけれど、心が痛くなってお母さんごぎゅっと抱きしめてしまった。彼女たちを吹き付ける寒い冬が早く終わればいいと思う。同時に、これから来る暑い暑い夏を彼女たちが健康に過ごすためにこれから何が必要なのかを考えなきゃと思った

午後は、ワークショップに参加した人たちの活動を訪問した。こちらについては、写真と合わせてシェアしたいので、帰国してからアップします。

ヨルダン6日目

今日はワークショップ最終日。1、2日目の活動をもとに、具体的な日本とのコラボの計画をたてる。クラウドファンディングについて説明し、申請するまでのプロセス、申請するのに必要な情報などを確認。その後、個人またはグループで案をまとめていった。

最終的には、参加者から9つの案が出たので、これを日本に持ち帰る。ICTを使って、現地の人たちと日本のチームでワーキンググループを立ち上げ、その中でそれぞれの案を具体化し、プロジェクトを立ち上げる。ICTを使った協働プロジェクト。

対面でも異文化間の協働は難しいのに、ましてICTを通してどこまでできるか。いや、できるかどうかじゃなくて、できるようにするためにはどうすればいいか考え、実践するのが私の役割。気合いいれて頑張ります。

ワークショップの後、Middle East Universityでミーティング。教育学部の学部長ムハンマッド先生に会うだけの予定だったが、そのまま学長室へ移動。帰国前なので軽装のまま、ゴージャスな学長室に案内され、学長、副学長、各学科の学部長のメンツの中でひとり場違いの服装で対談。あちゃー、と思ったけれど、学長と、関心分野が共通していてなんとなく意気投合。とても楽しく時間を過ごせました。

今計画していることに対して、大学の設備を使っていいよと提案してくれ、さらにすぐにコンタクトととれるようにと有能なDr. Saraも紹介してくれた。

たった6日間のヨルダン滞在だったけれど、多くの出会い、多くのの可能性を得ることができた。これをしっかり未来につなげていきたいし、案を具体化していきたい。専門家として、研究者として、実践家としてもっともっとスキルアップしていかなきゃ、とさらに気合いが入った。

さて、日本に帰ります。

ヨルダンから帰国

時差ボケかなぁ。それとも考え事が多すぎかなぁ。
目をつぶってもいろんなことを考えすぎて、目がギラギラ冴えてしまい寝れない。朝方まで眠れなかった。

写真は、難民キャンプの子。最初は少しも近寄ってくれなかったけれど、おしゃべりしているうちにだんだん距離が縮まって、ひざの上でおしゃべりするように。

ヨルダンには、2013年7月の段階で60万人のシリア難民がいると言われている。ひとりひとりの暖かさ。ひとつひとつの命は決して数では感じれない。この暖かさを失いたくない。

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ヨルダン4日目日記

1900158_711888965518777_1605082343_n今日は、ワークショップの日。17の団体から30人の参加者とのワークショップ。アラビア語だし、アラブタイムだし、アラブ習慣なので、日本のように回せるか心配だったけど、プログラムの企画、準備を一緒にしてきたまさ、そして、サポートしてくれたゆきちゃん、けいこちゃん、ちなみちゃん、あやさん、持田くん、みえちゃんのおかげで円滑に進めることができた。

ワークショップではそれぞれの団体が今取り組んでいること、そしてそれを取り組んでいる理由についてポスターセッション形式で発表してもらった。その後、ダイアログセッションで議論したいトピックについて話し合った。みんな積極的に意見交換していたし、中には、団体同士で連携が生まれたりしていた。私も、ICTを使った教育活動とフィルム制作ワークショップをコラボできそう。現地のことは現地の人が一番よく知っている。彼らがやっていること、やりたいことを元に、何ができるか、何をしたいか考えることができる。

ワークショップについてもたくさん書きたいことがあるけれど、ありすぎてまとめれないので、今度。

6時くらいにワークショップ会場を出て、7時に孤児支援をしているワーダフと会った。彼はパルミラ出身。ラドワンがヨルダンにいた時、彼の活動を少し手伝っていて、日本に来てからも財政的支援をするなどしている。日本でラドワンが中心になって、里親探しができればいいな、と思った。

今日も一日いろんなことがあった。ヨルダン滞在はあと2日。買い物する時間が全くない。お世話になってる小学校にお土産を買って帰りたいんだけど、、、。

ヨルダン3日目日記

今日は、朝の8時半にカマルの家でお茶。
すでにカマルは仕事に出ていて、ハンナーディとトゥリーンとヌールの4人で女子会みたいなほんわか時間を過ごした。

それから、UNRWAへ。ムハンマッドハラブ先生のところで打ち合わせ。その後、小学校へ。ICTを活用した授業をみせてもらった。校長先生も学校の先生もすごく素敵な人で、学校全体が明るく、生徒たちも伸び伸び授業を受けていた。学校のシステムはシリアと一緒。UNRWAの教育は国を超えても、しっかり質のコントロールができているんだと思った。

授業が始まる前、カマルがトゥリーンの担任と話をしていた。トゥリーンもだいぶ落ち着いてよくなってきたわよ、と言われていた。シリアから逃げてきた当時はやはり落ち着かなかったようだ。子どもたはみんな少なからず、内戦の精神的影響を受けている。日常的に聞こえる爆弾の音。いつ飛んでくるかわからないミサイルに怯え、学校にいくにもいつ狙われるかわからない。子どもだって関係なく狙撃されていたから。シリアにいたころ、子どもたちは学校に行きたくないと言っていたそうだ。勉強が嫌になったからじゃない。学校に行くまでに殺されるかもしれない。家を出たらもう家族には会えないかもしれない。そんな強い不安を抱えた子どもたちに「学校にいけ」と親は言えるだろうか。いや。いえない。実際、多くの子どもが学校で、学校に行く途中で被害にあっていたから。

授業がはじまる前、シリアで起きていたことをみんなで聞いた。「こんな話をしてごめん」というカマルに対して何も言えなかった私の代わりに校長先生は、「あなたたたちは、同じ民(our people)、私たちの家族、今起こっていることを聞くのは私たちの仕事(our work)、私たちの問題(our matter)だわ」と答えた。感動した。

UNRWAのあと、シリアから逃げてきたシリア人の家族のおうちを6件訪問した。ここには詳細は書かないけれど、実際に自分で足を運び、話をしたからこそ、多くのことを知った。多くのことが見えてきた。

今日も一日長かった。さすがに3日目だからか、8時過ぎにホテルに戻ってから30分以内にもうぐっすり寝ていた。

ヨルダン2日目。

朝の7時にホテルを出て、夜の11時くらいに帰宅。
普通なら疲れていて当然なんだけど、全然疲れを感じない。
久しぶりに同僚のカマルや家族にあえて、心も体もとっても喜んでいるのかもしれない。ヨルダンUNRWAで9年前からお世話になっていたハラブさんにも会えた。(9年前に私がヨルダンUNRWAで実施した研修の写真やそれを元にした教材を見せてくれた。自分の実践が今に繋がっているのを知ってすごく嬉しかった)

同時に、今日はシリアで起こっていること、シリアのパレスチナ難民に起こっていることを聞いて、辛くて、辛くて、涙が止まらなかった。同僚たちのみんなの安否を知りたいとは思っていたけれど、あまりな過酷な状況に、知ってしまったことで混乱を感じている。あまりにも大きな問題に対して、何もできることなんてない、と。けれど、現在の取り組みを聞いている中に、確実に自分達が協力できることはあることが分かった。

そうと分かれば、少しでも具体化していくために、UNRWAの関係者の人たちとたくさん意見交換した。そして、未来に向けて一つ活動計画がたった。

これでいい。できることをひとつひとつ、やっていく。
実践の中から関係性がうまれる。動きがうまれる。未来がつくられる。

この大きく複雑な問題に対して、こんな小さな活動をすることで何になるんだろうか、というジレンマも抱えるだろう。何をやっても、多くの人が傷つき、殺されていく現実は変わらない。命がけで国外に逃げて行く人が減るわけではない。それでも、未来を創るのは、ひとつひとつの実践。であれば、それを大事にしていくしかない。

帰国したら緊急時における教育について研究をはじめる。いくつかの研究機関や実施機関があるのでそこを調査したり、東北のほうで震災後教育活動をしていた人にお話を聞きたい。何もできないなら、何か出来ることを一つでもふやしていかなくちゃね。

ヨルダン出張1日目

おはようございます。

朝です。ホテルの朝食は、7時からということで、7時10分くらいに指定の場所に着たら誰もいない。ノープロブレム。セルフでとれるようにパンとサラダは並んでいるので勝手にラップをはずして、お皿にもる。

サラダはまだ味付け(オリーブオイルと塩とレモン)されていなかった。
ノープロブレム。野菜そのものの味を楽しみます。

オムレツはフライパンもおいてるし、自分で作ろうかな、と思ったけれど、うまくガスがつかないので、あきらめた。それでよかった。7時48分。食事担当のエマードが作ってくれたオムレツはめちゃめちゃおいしかった。お料理も上手。人柄もいい。朝から幸せ〜。

といっている間に8時。そろそろ準備しないと!

めちゃいい人。

シリアの時間の流れ

1796421_710018065705867_2064170189_nアンマン到着初日、8時にジャマルと待ち合わせ。
15分くらいの遅刻は、アーディー(当たり前)。
むしろ、遅刻っていう概念自体違う気がする。

私の知っているアラブ社会では、道を歩けば、いろんな人に出会う。
挨拶を大事にする彼らは、「急いでいるから」といって、挨拶をおろそかにしない。途中、人が困っていたら助けてくれる。道路だって渋滞があるかもしれないし、バスだって時刻表があるわけじゃない。すべて、「何が起こるか分からない不確定な社会」の中での生活なので、約束はいつも「インシャッラー」

(東京で急いでいる時に、困った方を見つけても「もう時間がないから助けれない」と何もしない自分に対して自己嫌悪を持ってしまうのは、彼らのこういう行為をしっているから。人の行為ってやっぱり社会の構造と関連してる。)

ジャマルを待っている間、待ち合わせのすぐ前で店番をしている17歳のヨセフと弟13歳のバッキール。ここもシリアと同じ。空白の時間があっても人によって満たされる。日本では、人を待つ時間は、何もない時間になってしまうことが多いけれど、ここでは、どんな時間でも人によって「何か」がもたらされる。

ガラベーヤでやってきたジャマル。やっぱり似合う!
パルミラのガラベーヤだそうだ。故郷への想いを感じた。

ちょっとお茶でもしようとアラビアカフェに入った。
が、ああ、そうだった。そうだった。
お茶をする時の「ちょっと」という時間の感覚。
夜の11時半まで、カフェで話をした。3時間、、、。

ジャマルは英語ができないので、アラビア語を思い出すいいきっかけになった。
にしても、以前は考えたことをそのまましゃべっていたけれど、ところどころで単語が思い出せず、詰まってしまい、すごくストレス!聞いて思い出すじゃけじゃなくて、文字を大量にみなきゃだめだな。

いろいろ話を聞いた。シリアでのこと。家族のこと。難民キャンプでの生活のこと。この3年の変化のこと。(地域によってアラブ人の性格が違うという話になったときは、パルミラの歴史の話にもなっていたな。)

ひとりひとりのストーリーをしっかり聞いて、つないでいく中で、答えを見つけていきたい。

写真はホテルのロビーでみんなの憩いの場。ここでしかネットができないので人が集まる。そしてここでおしゃべり。

アンマンに到着!

アンマンに到着!
まずは、携帯電話のSIMカードをゲット。これで活動がやりやすくなる。明日からの活動の予定を確認。早速、明日は、朝9時にUNRWAの事務所で会議。起きれるかな、、、。(誰かモーニングコールを〜♥︎)

それから日用品を購入。たった5日だけど、いろいろ必要なんだよね。シャンプー、石鹸、サンダル、ヒジャーブ、お菓子などなど。

え?日本から持って来いって?
スーツケースは、日本からしか持ってこれないものばかりで、自分のものはほとんど持って来てないのです。

それに買い物は現地の人とコミュニケーションを楽しめる場。久しぶりのアラビア語を慣らしながら感覚をつかむ。いい感じ!

今から、ラドワンの弟、ジャマルに会う。すでに街でシリア人といっぱい出会えた。しっかり現状を理解したい。

 

ひらめき★ときめきサイエンス

高校生向けのひらめき★ときめきサイエンスを実施。80名(うち、高校生は20名)を超える方に参加いただきました.様々な年齢や背景を持った人が、国際交流、国際ボランティアについて意見交換しました。とても良い会になりました。

協力してくれたみなさん、ありがとうございました。

 

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11/29 漂流するシリア難民

Just Pray For Me.

私のシリア人やシリアにいたパレスチナ人の仲間たちがいつも言う言葉。
もちろん、私はいつでもKeep praying for youです。

時々彼らに電話をする。

2011年までは、「シューアはバーラック?(最近どう?)」と聞くと、
元気だよ〜と近況を教え合ったりしていた。
今は、「シューアはバーラック?」と聞くとのもはばかられる。
「元気だよ」とも「大丈夫」とも答えにくいのが分かってるから。
それでも、電話に出てもらえると安心する。

これから厳しい冬がやってくる。肌をきるような寒い乾燥した風が吹く。

シリア難民の現状が、クローズアップ現代で取り上げられました。
一部、ウェブから視聴できます。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3438.html

アイデアで支援活動

こういう支援、すごくいいと思います。
モノやお金の支援だけではなく、仕事や学びを創出する機会を作る。

World Linkさんの活動:トルコに避難したシリア難民との語学レッスンプロジェクト
(The Japan Timesより)1000731_616077065097416_826319965_n

6/19 AMDAのインターン募集

国際協力に将来、関わりたいのですが、何をすればいいですか?
とよく、相談を受ける。

いつもいうのは、「何かしたい!」と思ったら、まずは現場に入る!

現地の人と一緒に生活し、一緒に考え、感じていく中で、見えてくるものがあります。
長期で海外にでれなくても、NGO/NPOのインターンもあるので、参加してみるといいかもしれませんね^^

そのひとつ、AMDAのインターン。
AMDAは、私が大学生の頃、スペイン語訳でちょっと関わらせてもらったことがあるNPO。あの頃、とてもいい勉強をさせてもらいました。

打ち合わせの一日

JICAでの打ち合わせ。

JICAで、ミャンマー特集の冊子(JICAWorld)をもらってきました〜。面白そうな資料もいっぱいあるし、これからこういった資料なども活用していきたい。JICA地球ひろばでも、いろいろできそう^^

その後、東京駅へ移動。5時から久保田先生@関大と打ち合わせ。