2/27 Handicapped Programの視察

バングラディッシュには、約10%の身体的または精神的障害をもった人がいる。そういう人たちは社会から孤立し、差別されてきた。バングラディッシュ政府は、この状況を改善するために学校教育のリノベーションをしたり、新しく建設される学校には手すりや車いすが移動できる坂を作るなどしている。しかし、障害を持った人たちは歴史的・社会的に差別されてきたため、政府からの発令があったとしても偏見や態度は変わらない。そこでPAPRIは、障害者を支援するプログラムを始めた。

まずはじめに、障害者の人たちが置かれている村の状況について説明する。村のほうでは、障害者についても「誤解(misbeliving)」がある。それは、障害とは神(アッラー)が与えたものであり、何か悪いことをしたからそうなったと考えている人がいる。イスラム教の経典(コーラン)には、どんな人も平等に対応すべきだとコーランにも書かれているが、村人は障害者をみると「何か悪いことをしたに違いない」と考える。そのため、障害者のいる家族は、はずかしがってその子を無視したり、家から出さないようにし隠す。生まれつき障害がある子は家から出さない。事故などで障害を持っても、「何か悪いことをしたんだ」と考えられ、家族からも見放されることが多い。

そんな社会的状況の中、障害を持った人は窮屈な生き方をせざる負えない。しかし、事故や怪我、病気が原因で障害を持った人たちは、「このままではいけない」と立ち上がった。PARPRIはそういう人たちを支援し、障害者の経済的独立を支援している。今日は、Chief of Disable programのアシマさん(女性)と彼女のアシスタントのクリシュナーさん(男性)に同行してもらい、経済的独立を果たした2人の方に話を聞いた。

【ハルシャバンさん】
ハルシャバンさんは15歳まで健康な少年だった。15歳の時、突然高熱に襲われ、その後、片足が動かなくなった。その後、松葉づえでの生活を強いられた。つらかったのは、松葉杖での生活ではない。家族や友達、地域の人の態度が急変したのだ。これまでやさしかった家族はハルシャバンさんを避けるようになり、ハルシャバンさんは孤立した。これまで一緒に遊んでいた友達とも遊べず、自分はもう何もできないとふさぎこんだ。このままでは駄目だと考え、何かビジネスを自分で始めようと考えた。いろんなビジネスを見て、自分ができることを考え、小さな店なら自分でもできると考えた。村の店は小さいのでそれほど移動が必要ではない。また客がくるまでは基本的に座り仕事だ。ハルシャバンさんは、学校にいっていたので、読み書き計算ができる。またちゃんと地域の人とコミュニケーションをとったら交渉もできるので、ビジネスを始めるのに問題がない。そこで、店を始めたいので、お金を貸してほしいと家族に頼んだ。しかし、家族は「お前にそんなことができるわけがない」と取り合ってくれない。

そんな時、PAPRIのマイクロクレジットについて知ったので、PAPRI事務所に訪問した。PARRIでは、返済可能だと判断した人にしか貸さない。それまで障害を持った人は社会的孤立し、経済的自立ができないと考えられてきたが、ハルシャバンさんのようにやる気があって、具体的なプランのある人であればそれを支援できると考えた。そこで、マイクロファイナンスのうち、ソフトファイナンスという枠組みでお金を貸した。ハルシャバンさんは、そのお金を得て、村に小さな店をもった。今では、一人の子どもも持ち、経済的な自立を果たした。

将来は、ビジネスを拡大すると同時に、障害を持った人たちの支援をしたいと考えている。自分が障害者になってどれほどこの社会で生きにくいかということを実感した。手足に不自由があるだけで社会から隔離されるのはおかしと考える。障害をもっていてもできることはある。そのためには、まず、社会が障害者を受け入れる(Acceptする)態度が必要だという。ハルシャバンさんは、自分と同じように障害を持っている人たちをみつけては、何ができるかを一緒に考えて提案する。PAPRIもその支援をしている。障害をもっていても店をもてるということはハルシャバンさんが証明した。地域の人は彼をみて考えを変え、障害者に対してより受け入れる準備ができるようになってきた。しかし、そういった村はまだまだ少ない。社会で自律する障害者をどんどん増やすことによって、「彼らも我々とは変わらないんだ」ということを見てもらう必要があるとハルシャバンさんは考えている。

【カラムさん】
カラムさんは、村でコンピュータ教室を営んでいる。彼は、結婚してしばらくしてから屋根から落ちて背骨を負傷し、下半身不随になった。妻は、夫が障害者になったということを知ったとたん、家を出た。カラムさんは、自分が障害をもったことで妻が家からでたことに大変ショックを受けふさぎこんだ。その様子をみたPAPRIのスタッフが、その時他のNGOが実施していたリハビリテーションに彼を誘い、カラムさんはしばらくリハビリに通った。ハングラディッシュでは、障害者に対するリハビリは十分に整備されていない。カラムさんはそのリハビリを受けて車いすで動けるようになった。その後、PAPRIが実施する職業訓練を受けた。コンピュータ教室である。そこで、コンピュータのノウハウを学び、その後マイクロクレジットを受けて、村でコンピュータ教室を始めた。20,000TKを借り、障害を持つまでに貯蓄していた15,000TKを合わせて35,000TKでコンピュータを買った。現在6人の学生が学びにきている。

カラムさんも、将来は障害を持った人たちの支援をしたいと考えている。自分が障害を持つまで、障害者がどれだけ孤立しているか想像もできなかった。妻に逃げられ、家族からも見放され、つらい経験をしたからこそ、同じ経験をしている人を支援したいと考えている。障害を持っても、経済的に自立できるのは、ひとつは、教育を受けていることが重要であると考える。障害を持った子どもたちは学校に行かないことが多い。なぜなら、学校でいじめがあったり、先生や友達からも受け入れられず、また階段など一人では移動できないにも関わらず誰からも助けてもらえず、辛い思いをして学校に通うのをやめるからである。しかし、自立するためには、読み書き計算は不可欠である。また、障害を持っているという理由で家の中に閉じこもっていると、人とのコミュニケーションができなかったり、社会に適応できなくなる。学校というところは、いろんな人と出会い、社会的なスキルを身につける場所でもある。そのため、まずは障害をもっていても学校に行けるということを保障する取り組みをしなければいけないとカラムさんんは考える。「教育を受けていれば、自分たちで何ができるかを考えて行動できる。自分を助けてくれた人たちのように、助けてくれる人が周りにいれば何かできる。学校に行くことで障害者の未来を切り開くことができる」と言っていた。ただし、障害を持った子どもが学校にいけるようになるには、まず学校が障害者を受け入れるMind(心)を持つことが不可欠である。しかし、実際にそういう状況にない。どのように学校で障害者を受け入れるのか、それが課題でもある。

One Response to “2/27 Handicapped Programの視察”

  1. 水谷俊亮 said:

    2月 28, 12 at 3:04 AM

    ツアーで後輩達をパプリに連れていき、このプログラムを見学した際に後悔した経験があります。その時は神経麻痺で体中の筋肉が思うように動かない少年の家を訪問し、筋肉が固まらないように専用の器具を用いてリハビリをするプログラムでした。親が泣きながら子どもの苦労や将来のこと等を語るのを聞きながら活動の説明をしていただきました。その説明が終わった後、バングラデシュでは良くある村の人たちも例にもれず日本人が訪問すると沢山集まってくるので、後輩たちがそこに集まってきた子どもたちとはしゃいで遊びまくっていたんです。
    キラキラした目で遊びに誘われるので、しかも初めてなのでそうなってしまうのもわかりますが、その子や親が目の前にいて、母親が何とも言えない表情を浮かべてその様子を見ていて、その後家の中に入ってしまったのを見て、とても心が痛みました。
    それからパプリのプログラムに後輩を連れて行く時にはそういったケアもしっかりするように心がけていますが、バングラデシュにおける日本人の影響力とはとても大きなものなので、バングラデシュを訪れる日本人にはそれぞれ色々なことに考えを巡らせながらお邪魔させてもらうことを肝に命じてもらわないとダメだと思います。


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